東海大相模、原貢氏に誓う44年ぶりV、門馬監督「おやじの魂と一緒に甲子園へ」

大利実

“特別な夏”に神奈川を制した門馬監督

決勝で20Kの2年生・吉田(写真)を含む4人の投手陣で激戦・神奈川を制した東海大相模。そのまま全国制覇なるか 【写真は共同】

「どうしても、勝ちたかった……」

 優勝を決めたあと、ベンチ裏で行われた東海大相模・門馬敬治監督の取材。第一声のあと、涙で言葉が続かなかった。

「今年の夏ね、どうしても(甲子園に)行きたかったので……」

 絞り出した言葉のあと、また涙で声を詰まらせ、「すいません」と取材陣に謝った。

 第1シードで臨んだ夏。準決勝で、ここまで5連敗中だった宿敵・横浜を5−3で下すと、決勝の向上戦は13−0の快勝で、激戦の神奈川を制した。

 今年は特別な夏だった。「個人的な思いがあった」と門馬監督は素直に明かす。東海大硬式野球部でマネージャー、コーチをしていた時、監督としてチームを率いていたのが、今年5月29日に病気のために亡くなった原貢氏であった。

 門馬監督にとっては野球の師であり、心の師。7月14日に行われたお別れの会では、遺影を前に「今年の夏、私は、そして東海大相模は、おやじさんの魂と一緒に戦っていきます。タテジマのプライドを胸に」と誓った。

 掲げる野球は「アグレッシブ・ベースボール」。すべてにおいて攻撃的な姿勢で攻め続け、最後に相手よりも1点多く勝っている野球を理想とする。打率よりも出塁に、失点よりも得点にこだわるのが門馬監督の野球だ。

「ぼくの原点は、原のおやじさん。『攻撃は最大の防御なり』『攻めて攻めて攻めまくれ』『動かないで失敗するより、動いて失敗しろ』」

 数々の言葉が、門馬監督の胸に息づいている。

身にしみた攻撃の重要性

 ただ、1999年に東海大相模の監督に就いたときから、アグレッシブ・ベースボールを展開していたわけではない。

 2000年、就任2年目でセンバツを制したが、このときは筑川利希也(現Honda)と菊地一也のバッテリーを中心にした守り勝つ野球。練習の半分以上を守備に割き、守りで日本一をつかみとった。

「ピッチャーが良いので、失点が計算できる。失点しなければ勝てると思いました」

 門馬監督は当時、失点にこだわっていた。

 ところが、センバツを控えた2月、練習を見に来た原貢氏に「ばかやろう! 打たなきゃ、勝てるわけがないだろう!」と怒られたという。はじめはその意味が分からなかったというが、春夏連覇を目指した夏はまさに恩師の言葉どおりとなった。県大会初戦からロースコアの接戦が続き、最後は準々決勝で県商工に2−4で惜敗。打てないことで、投手に負担がかかり、勝ち切ることができなかった。

 2年後の02年夏は決勝で桐光学園に0−2、03年夏は準決勝で横浜にこれまた0−2と、打てずに敗戦。悔しい思いをするたびに、攻撃の重要性を身にしみて感じるようになっていった。

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著者プロフィール

1977年生まれ、横浜市出身。大学卒業後、スポーツライター事務所を経て独立。中学軟式野球、高校野球を中心に取材・執筆。著書に『高校野球界の監督がここまで明かす! 走塁技術の極意』『中学野球部の教科書』(カンゼン)、構成本に『仙台育英 日本一からの招待』(須江航著/カンゼン)などがある。現在ベースボール専門メディアFull-Count(https://full-count.jp/)で、神奈川の高校野球にまつわるコラムを随時執筆中。

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