世界最大の国際ユース大会で得た財産 C大阪とJ選抜、それぞれのゴシアカップ
世界中から1600チームが集まる国際ユース大会
4万人が見守る盛大なゴシアカップの開会式。各国選手団が民族衣装で入場行進 【(c) 山口剛生/Agence SHOT】
今年で40周年を迎えた伝統ある大会に参加したのは、名前しか聞いたことのなかったアフリカの小国からアジアの日本に至るまで、世界73の国と地域。そこから実に1600を超えるチームが、男女別・年齢別に分かれた各カテゴリーへとエントリーした。日本から参加したのはセレッソ大阪のU−16チーム(高校1年生+早生まれの高校2年生)と、Jリーグのアカデミーチームから選ばれた選手で構成されるU−14Jリーグ選抜の2チーム。前者がB16(16歳以下の男子)、後者がB15(15歳以下の男子)のカテゴリーへと参戦した。
1週間足らずの開催期間において、選手だけで3万人あまりが訪れる(少なからぬ数の保護者もやって来る)マンモス大会。大航海時代の昔より国際都市として栄えた港町にとって、ある種“お祭り”となっている。ヨーテボリ市にとって、とても大切なイベントであることは、入国審査の時点でよく分かった。同行したカメラマンが「何しに来た?」と問い詰められて困窮していたのに対し、「ゴシアカップを観に来ました」と答えた私は(明らかに私のほうが怪しい風体にもかかわらず!)、「オー、ゴシアカップ! ウェルカム!」とあっさり通過を許されたのである。
そのほかにも、レストランで食事をしていれば、「ゴシアカップの取材かい? どこから来たの?」と声を掛けられ、躍進を遂げたJリーグ選抜に関して質問攻めにあったこともあった。1600チームが市内各所で同時に試合を行う中で、会場には毎日多数の人が詰め掛けており、各国の選手に万雷の拍手を送り続けていた。
40年も続いている大会なので、「昔は俺も出たんだよ」なんておじさんもいれば「息子が出ていたことがあるのよ」なんて言うおばあさんもいる。大会を包む雰囲気は非常に温かく、外国人を迎え入れることに慣れている印象も受けた(何せみんな英語をとてもゆっくりしゃべってくれる!)。真夏ではあるものの、さすが北欧と言うべきか、気候も爽やか。あっという間にこの大会の魅力のとりこになってしまう人が続出するのも納得である。
ドルトムントのスタイルで世界に挑んだC大阪
ドリブル突破を仕掛けるJリーグ選抜FW宮代 【(c) 山口剛生/Agence SHOT】
“Osaka”のチームであるC大阪は、高体連とJクラブの中間という意味でコーチ陣が「J体連」を自称する、厳格な指導をモットーとするアカデミーだ。厳しい走り込みを重ね、攻守の切り替えを徹底的に重視する。そのプレッシングスタイルは、ドイツのボルシア・ドルトムントを一つの模範としている。その指導で育ち、昨年卒業した丸岡満が他ならぬドルトムントにスカウトされたのは、ある意味で必然だろう。厳しい連戦で、特にラウンド16から準決勝までは1日3試合を消化するというタフな日程の今大会。それでも「この大会のために、自分たちのスタイルを曲げることはしない」(村田一弘監督)と、消耗は百も承知と前からのプレッシングを継続し続けた。
そんなC大阪が、大会で喫した黒星は2つ。CAアルマフェルテ(アルゼンチン)にグループリーグ第2戦で、そしてギルフォード・セインツ(イングランド)にラウンド16で敗れた。いずれも内容的には上回ったと言える試合だったが、「本当にワンチャンスを決めてくる」(DF手島瑠佳)と、月並みな表現ながらまさに「決定力の差」で敗れ去った。いずれの試合も、自慢のプレスで相手のビルドアップを押しとどめ、パスワークで相手の守備の的を外すことに成功しながら、ゴール前の攻防では勝ち切れずに敗戦。「過程」は良くとも「結果」が付いてこない。ある意味で「日本のチームらしい負け方をしてしまった」(村田監督)と言えるだろう。