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五輪銀・竹内智香が語る海外挑戦の意義
スイスで学んだ「勝ちにいく」精神
「安定を求めた時、その先はない」と、自分にプレッシャーを与えているという竹内
「安定を求めた時、その先はない」と、自分にプレッシャーを与えているという竹内【佐々木孝憲】

 4度目の挑戦となるソチ五輪で、スノーボード女子パラレル大回転銀メダルを獲得した竹内智香(広島ガス)。五輪後の「アスリートイメージ評価調査」(博報堂DYメディアパートナーズ)の「ソチオリンピックで活躍した女性アスリート」で、浅田真央(中京大)を抑えて女子1位となったのは、勝つための環境を、直談判を繰り返し、自ら動くことによってつくっていった、尋常ではない行動力が評価されたからだろう。


 単身スイスに渡って5年間、スイス代表チームとトレーニングをして、メダル獲得にいたった経緯、そして今後の競技人生について聞いた。(取材日:2014年7月7日)

代表落ちで決断したスイス行き

――ソチ五輪で銀メダルを獲得して5カ月経ちました。今の心境は?


 金メダルでなく、銀メダルだったことは、今でも本当に悔しいです。ソルトレークシティー、トリノ、バンクーバーに続く4度目の五輪で、金メダルを取るための完璧な準備をして臨んだので。もちろん銀メダルを取れたことで多くの方に喜んでいただけたし、メディアに出る機会も増えて、スノーボードアルペンを知ってもらうことができました。でも、今でも決勝の映像を見るたびに、悔しさでいっぱいになります。


――竹内さんはトリノ五輪出場(9位)の後、2007年に練習拠点をスイスに移して5年間、スイス代表チームとトレーニングを共にしました。スイスへ渡ったのは何がきっかけだったのですか?


 トリノ五輪の翌年、シーズンオフに入ったときに、私は日本代表チームのメンバーからはずされると伝えられました。そのとき23歳。当時はナショナルチームの最年長になっていました。でも「はずれたら、日本代表としてワールドカップに出られない。だったら、別に日本にいる必要ないな」と思えたんです。それまで、ヨーロッパの遠征などで、世界のトップ選手の恵まれた環境を見てきたので、環境面、意識面において日本チームへの不満もたまっていました。日本にこのままいても世界のレベルには到達できない。「最後の挑戦」のつもりで、思い切ったことをしないと、自分のスノーボード人生を満足して終えられない。ならば、世界最強のスイスチームと一緒に練習したいと思いました。


――スイスへ渡る決断をするときに不安はありましたか?


 そのときは、日本の環境で競技することに精神的に行き詰まっていた時期で、ある意味日本を否定して出て行ったので、不安は感じませんでした。

「生き残るためにやるしかない」

初めてスイスチームに入った時の夕食。左から竹内、パトリシア・クマー、フレンツィ・コーリー。親友であり良きライバルだ
初めてスイスチームに入った時の夕食。左から竹内、パトリシア・クマー、フレンツィ・コーリー。親友であり良きライバルだ【スポーツナビ】

――スイスチームの選手たちの反応はどうでしたか?


「スイスチームで練習させてほしいと」直談判を繰り返すうちに、2カ月だけの練習参加が認められたのですが、スイスのナショナルチームにとって、日本選手を練習に参加させるメリットは何もない。最初は相手にされませんでした。英語は片言、ドイツ語はまったくできない。文化も違う、友達もいない。このまま自分はスイスでやっていけるんだろうかと弱気になるときもありました。


――それでも続けられたモチベーションは何でしょう?


 どんな厳しい条件であっても、スイスチームに入って、自分の技術が格段にレベルアップするわけですから、こんな最高のチャンスはない。生き残るためにやるしかないと思っていました。最初の1年間は片言の英語でなんとか過ごしました。でも、「次のシーズンまで残りたければ、会話はすべてドイツ語だよ」とはっきり言われたので、猛勉強をしてドイツ語を話せるようになり、自らムードメーカーになって、溶け込む努力もしました。いいコーチとチームメイトに恵まれ、友達もできて、オフをうまく過ごすことができるようになったこともとても大きかったです。


――スイスと日本では、競技環境、選手の意識など、どこが違いましたか? その違いに戸惑ったときはどう対処しましたか?


 スイスチームはオフがすごく長い。雪上を滑る練習の本数があまりに少ないのです。「たくさん練習することが結果につながる」と考える日本の環境とはまったく違いました。また、日本ではスポーツの世界は縦社会。でもスイスでは、コーチは私が競技に集中するために、身の回りのことはコーチが全部やってくれます。練習も押しつけてくるのではなく、私の考えを聞いてくれる。「こんなにいい環境で競技を続けられる国があったんだ、もっと早く来ていれば、もっと早くにトップ選手になれたかもしれない」と、一時は国籍を変えることも考えました。だけど日本人であることは捨てられない。日本人としての誇りを持とうと思いました。

小学館編集部

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