雄平、山口俊、濱田達郎から学ぶ、苦難を突破した男たちの成功哲学とは?

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DeNA・山口俊、プレッシャーから解放され、先発で見せる新境地

15日のソフトバンク戦で8回1/3を1失点で3連勝をマークしたDeNA山口 【写真=BBM】

「抑え失格」から「先発の柱」へ――。劇的な復活の道をたどっているのが山口俊だ。

 09年5月から抑えを任され、10、11年は2年連続で30セーブ以上をマーク。12年の9月4日のヤクルト戦(横浜)では、史上25人目、歴代最年少(25歳9カ月)での通算100セーブを達成と、チームの「不動の守護神」だった。球団の抑えといえば、球史にも名を残す“大魔神”こと佐々木主浩の名が挙がるが、「少しでも近づきたい」と、山口自身もまた、抑え一本でやっていく覚悟を見せていた。

 しかし、その「不動」の地位が揺らいだのが13年だった。

 開幕直後は調子が良かったものの、4月21日の中日戦以降、毎試合のように安打を打たれる不安定な投球が続いた。5月17日の北海道日本ハム戦(横浜)では1点リードの9回に登板するも、2つのワイルドピッチでピンチを招き2失点で逆転負けを喫した。この日まで18試合に登板し、4勝2敗2ホールド6セーブ。先発の勝ち星を消してしまう内容は、数字以上にチームの士気を削ぎ、19日に登録抹消。以降は1、2軍を行き来しながら、復調のきっかけはつかめなかった。

 今季は開幕から中継ぎとして起用されていたもののやはり調子は上がらず、5月5日に登録抹消。しかし、このときいつもと異なっていたのは、中畑清監督から先発として調整するように伝えられたことだった。

 実際、「抑え失格」の烙印(らくいん)が押される前から、コーチやOBに指摘され続けてきたのが、メンタルの弱さだった。試合の最後を締めるというプレッシャーのかかるポジションではあるが、好調のときでも走者を塁に出すと突如、調子を狂わせるシーンが多々見られた。特に投球不振に陥って以降は、自らの武器である最速157キロの直球で抑えようとするあまり、力み過ぎてさらに制球を乱す、という悪循環になっていた。

 それならば抑えのときよりもプレッシャーの少ない先発で起用しようという首脳陣の考えだったのだ。

 抑えにプライドを持っていた山口にとって、先発転向はすぐには受け入れられなかった。しかし、首脳陣からの信頼も失いかけている現状で「やるしかない」と腹をくくり、体重も103キロから97キロに絞って、復活登板に向け調整を続けた。

 そうして6月1日の千葉ロッテ戦で7年ぶりの先発登板を果たすと6回を2安打2四球無失点の好投で2894日ぶりの先発白星。直球とスライダーで抑えていた中継ぎ時代とは異なり、「7、8割の力で投げた」と、カーブ、スプリット、シュートと多彩な変化球も織り交ぜる新境地を見せての勝利だった。「生まれ変わった自分を見せたい」と語る山口。先発2試合目の6月8日の東北楽天戦は8回4安打3四球1失点、3試合目の6月15日の福岡ソフトバンク戦は8回3分の1イニングを8安打1四球1失点と安定した成績を残している。まさに「適材適所」であり、首脳陣の思惑がはまった形だ。

 プロ野球選手として新たなステージを歩み出した山口が、後半戦のキーマンになることは間違いない。

中日・濱田達郎、腕を下げ取り戻した輝き球質で勝負する左腕

制球力が向上し、投げっぷりの良さが好成績につながっている中日・濱田 【写真=BBM】

 プロ初先発だった5月7日の阪神戦では、誰もが驚く完封で初勝利を挙げた。予告先発だった川上憲伸が腰痛で緊急回避。困り果てた首脳陣が、緊急先発のマウンドに送ったのが濱田達郎だった。ところが、6安打、11奪三振の完封勝利ですら序章だった。さらに白星を積み重ね、無傷の3連勝で防御率は2.41。先発ローテーションの一角を任されるまでになった。

 高校時代は「ビッグ3」と呼ばれた。阪神・藤浪晋太郎はいきなり2ケタ勝利を挙げ、日本ハム・大谷翔平は160キロの豪速球と豪快な打撃でどちらも魅せる。ところが、1年目の濱田は「ビッグ3」でただ1人の2軍暮らしに終わっていた。2勝8敗、防御率は6.39。87回3分の1イニングを投げ、与四球が実に62個。これは11死球とともにウエスタン・リーグでは最多だった。

 獲得に尽力した中田宗男スカウト部長ですらも「あんな姿は高校時代に想像できなかったこと。正直、もう終わったかなと思った」と言うほどの制球難だった。

 転機はそのオフ。何とか光を見いださせようと、球団は台湾でのウインター・リーグに濱田を派遣した。同行した小笠原孝2軍投手コーチは、高校時代と1年目の投球フォームをそれぞれ映像で見せ、こう尋ねた。「今のおまえとどっちがいいと思う?」。濱田は高校時代だと答えた。「オレもそう思う」。肘をスリークオーターの位置まで下げ、腕を振るスタイルを取り戻したところ、原石は再び輝き始めた。

 台湾での成績は4試合で1勝1敗ながら防御率は1.80と劇的に良くなった。ストライクを取るのに苦労しなかったことで、格段に投げっぷりが上がった。その変身が春季キャンプでも認められ、4月27日には1軍昇格。中継ぎでのプロ初登板を経て、冒頭の完封へとつながった。「1軍の打者は甘いボールを確実に仕留めてきます。それに負けないように、しっかりと腕を振って投げることを心掛けています」

 濱田がこう語るように、藤浪や大谷と比べたらはるかに劣る130キロ台の球速を補うのは、あらゆる球種で同じように腕を振ることだ。球持ちが良く、打者は差し込まれたファウルで追い込まれる。尊敬する投手は「山本昌さん」と公言してきただけあって、球速ではなく球質で勝負するタイプ。その大ベテランも初勝利まで5年を要したのは有名な話だ。それを思えば、濱田の覚醒ははるかに早い。「濱ちゃんはまだ怖いもの知らずだから。それがいい方向に回っているというのはあるけど、行けるとこまで行ってほしいよね」

 友利結投手コーチも目を細める活躍だが、いずれは再び壁にぶち当たるとも思っている。そこを乗り越えてこそ、本物のプロになる。大きなつぼみが膨らまずにしおれる危機は回避できた。とはいえ、大輪の花はまだ咲き切ったわけでもない。「ビッグ3」の中では初勝利は出遅れたが、完封は一番乗り。ここから先もことあるごとに比較されるだろうが、マイペースキャラで先輩にも愛される「濱ちゃん」なら、笑顔で突き進んでいくだろう。

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