香川真司、悲願の舞台で味わった屈辱 ギリシャ戦で求められる原点回帰

元川悦子

W杯へのすさまじい意気込み

持ち味のドリブル突破は影を潜め、パスミスも多く見られるなど、香川(左)は本来の実力を全く発揮できなかった 【写真:ロイター/アフロ】

「南アフリカでスタンドから試合を見て、ピッチに立てなかった悔しさはすごい覚えています。チームが勝ってるのを素直に喜べなかったのはありますね。『自分がピッチに立ちたい』という強い気持ちが湧いてきました」

 2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会に向けた指宿合宿に挑む直前に、都内で行われた合同自主トレに参加した際、香川真司はサポートメンバーとして帯同した10年南アフリカW杯の屈辱感を改めて吐露した。

 今季マンチェスター・ユナイテッドでプロ入り初のシーズン無得点に終わったこともあり、自身初の世界舞台への意気込みはすさまじいものがあった。
「クラブの仲間はみんなW杯に向けて調整しているみたいな感じだった。『俺たちにはW杯がある』という話はよくしてました。だけど、まだまだ日本という国は世界ではそんなに強いチームだとは思われていない。僕らが結果で証明していくしかない」と、香川はこの大会で自身と日本の進化を示す強い覚悟を決め、直前合宿を精力的にこなしてきた。

 指宿と米国でフィジカルコンディションを上げ、コスタリカ戦とザンビア戦で得意な左45度の位置からのシュートを続けざまに決めたことで、本人の調子は確実に上向いていると思われた。コートジボワール戦の地・レシフェのアレナ・ペルナンブコで行われた前日練習の際も「最初から自分たちのスタイルを貫いて、ギリギリの戦いを競り勝っていきたい」と自信をみなぎらせていた。1年前のコンフェデレーションズカップ(コンフェデ杯)、イタリア戦で芸術的な左足ボレーシュートを決めているゲンのいいスタジアムでの一戦だけに、香川もいいイメージを持って入れるはずだった。

得意のドリブル突破を披露できず

 実際、相手の個の力を警戒し、慎重な入りを見せた日本の序盤はそれほど悪くなかった。相手のジェルビーニョとサロモン・カルーの両ワイドが頻繁にポジションチェンジを繰り返し、右サイドバックのセルジュ・オーリエも積極果敢な攻撃参加を見せるため、香川が下がって守備に奔走する場面も目立ったが、世界的強豪との戦いだけに、ある程度、押し込まれるのは仕方ない部分があったといえる。

 そんな中、迎えた前半16分の左CK。本田圭佑のキックに岡崎慎司がニアサイドでヘッド。中央にいた香川の前にこぼれる惜しいチャンスが巡ってくる。これはクリアされたものの、タッチライン深い位置で得たスローインを長友佑都は香川にパス。香川はゴールライン際で相手選手を引きつけリターンし、受けた長友が本田へラストパスを供給。本田が抜け出し左足を豪快に振り抜き、日本は早い時間帯に待望の先制点を手に入れた。アルベルト・ザッケローニ監督がしばしばトレーニングで取り入れていた素早いスローインからの得点ということで、選手たちへの戦術の浸透ぶりもしっかりとうかがえた。

 この調子で2点、3点と狙いに行ければ良かったのだが、早すぎる時間帯のリードで日本は慎重になり過ぎてしまう。攻撃のダイナミズムがなくなり、相手の攻めを受ける展開を余儀なくされる。前半の香川が得点のにおいを感じさせたのは、前線で抜け出した大迫勇也へパスを出し、自らがゴール前へ飛び出した23分の場面くらい。得意のドリブル突破を披露するシーンも皆無に近かった。

「自分たちは相手の前線の選手を脅威に感じていたし、それで攻撃の姿勢を見せられなかったと前半はずっと感じていました。守備もはまりどころが見つからず、取った後のミスから自滅していった感じ。相手の両サイドバックが上がってきてなかなか前にも行けなかったし、守備で苦労して消耗しました。自分がボールを受けた時の距離感も遠く、連動性もなかった。1点をリードしていたのに本当に余裕がなかったですね」と、彼は歯車がかみ合わない自分たちの戦いにいら立ちを募らせた。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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