東海大、原貢氏にささげる涙の日本一=全日本大学野球選手権・総括

松倉雄太

4度目の日本一を決め横井監督を胴上げする東海大ナイン 【写真は共同】

 第63回全日本大学野球選手権は15日、東海大が決勝で神奈川大を2−0で下し、13年ぶり4度目の日本一に輝いた。5月29日に同校を率いた原貢名誉総監督が亡くなって、わずか2週間あまりの栄冠に横井人輝監督は人目もはばからずに涙した。
 変革をきっかけに力を培った王者、準優勝チームを支えた3年生主将と仲間たちの思い、大会を沸かせた選手たちなど、全国から集まった26大学が日本一を懸けて戦った6日間を振り返る。

全国制覇へ導いた原貢氏の教え

 13年ぶりの優勝に横井監督は場内インタビューで、「(天国から)きっと見守ってくれていると思います」と話して涙した。横井監督は助監督として1年間、原監督の下で指導者としての基礎を学んでいる。「一番教わったのは、勝負の厳しさ。豪快なイメージがあるが、実は緻密だった」と原野球を語る。それだけに今の気持ちを聞かれると、「今でも、スタンドを見れば声をかけてくれるのではないかなと思うくらい(亡くなったことが)信じられない。私の中では今でも元気な姿しかない。ウイニングボールを届けたいと思います」と言葉を詰まらせた。

 今大会はユニホームの袖に喪章をつけて戦った。そんな東海大の選手の中でも、「特に原貢監督への思いが強い」と横井監督は話すのが、東海大相模高の出身選手たち。3番・捕手の大城卓三(4年)は、決勝でのタイムリー2本を含む15打数8安打の数字を残し、最高殊勲選手賞と首位打者賞に輝いた。「貢さんからは、センター返しの打撃など基本の大切さを教わりました。言ってもらったことが結果につながった」と噛みしめるように話した。

リーグ戦の制度変更でたくましくなった投手陣

 東海大優勝の起点ともなったのが、所属する首都大学野球連盟のリーグ改革だ。平日の授業受講を確保するため、今年からリーグ戦は土日のみとなり、これまでの2戦先勝による勝ち点制から、勝率制に移行された。さらに1部のチーム数は8校となり、14試合を空き週なしで戦うことになった。勝ち点制ならば、1試合を落としても、残り2試合を勝てば問題ない。だが勝率制となれば、1つの負けが命取りになりかねない。横井監督は、特に投手起用で大きな変化があったことを明かした。

「投手を育てるために、(試合の中で)引っ張ることをしなくなった。勝つためにはすぐに代える」

 リーグ戦同様、主に先発を担ったのが吉田侑樹(3年、大阪・東海大仰星高)。高校時代から体が一回りも二回りも大きくなり、「これだけの投手になるとは」と関西地区のスカウトから驚きの声が挙がった吉田。大学で合宿所に入り、「吐きそうなくらい食べるようになりました」と食生活の変化を話す。今大会は3試合20回を投げて、防御率0.90の成績を残し、最優秀投手賞を受賞した。

 リリーフとしてマウンドに上がり、胴上げ投手となったのは芳賀智哉(3年、福島・聖光学院高)。聖光学院高では歳内宏明(阪神)と同学年で、主に野手と控え投手をしていた。先発投手の残像を生かしたチェンジアップは、「対策をしていても打てない」と相手打者が話すほどのキレがある。大阪体育大戦でのロングリリーフなど、3試合13回を投げて、1点も失わなかった。

 横井監督とボールを受けた大城卓が「吉田と芳賀がここまで投げられるようになるとは」と声をそろえるほどの成長を見せた。リーグ戦での大胆な継投策で、これまでの東海大とは違う形で投手がたくましくなった。

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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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