球団消滅の当事者が語る“球界再編10年”=山村宏樹氏「“野球の力”再確認できた」

構成:スポーツナビ

近鉄とオリックスの合併話が明らかになってちょうど10年。04年の球界再編の意味をあらためて考える(写真は近鉄の本拠地だった藤井寺球場) 【写真は共同】

 2004年6月13日、近鉄とオリックスが合併を前提に話し合いを行っていることが明らかになった。球団統合、10球団・1リーグ構想、選手会による史上初のストライキ、そして新球団「東北楽天」の誕生。プロ野球史上においても大きく揺らいだシーズンとなった。あれから10年――球界は一連の“球界再編”を教訓にできただろうか。04年の意味、そして今後のプロ野球を考える。

 全3回の第1回目は04年当時、大阪近鉄に所属し、球団消滅に伴う分配ドラフトで東北楽天に移籍した山村宏樹氏に話を聞いた。

球団の消滅は「想像できませんでした」

――04年6月13日、日経新聞朝刊に「近鉄とオリックスの合併」がスクープされましたが、この報道はどういった形で知りましたか?

 メディアの知り合いの方から夜中の2時か3時くらいにメールが来て知りました。しかし、その時は整理がつかず何の話かよく分かりませんでした。その後、ナイターに備えて球場に行って、報道や球団関係者、チームメイトの話を聞いても「本当なの?」という感じで、現実のことのようには思えませんでした。

 その後、当時の選手会長・礒部さん(公一、現東北楽天コーチ)から説明を受けていく中で、「来年は一体、野球ができるのだろうか」という不安が最初に募りました。球団が無くなれば、「プロ野球選手ではいられなくなるな」とか真剣に考えましたね。身売り話や1リーグ制とかいろいろな話を聞くにつれ、もう本当に野球どころではないなと実感していきました。

 当時、ファンの方々とたくさんお話をさせていただきましたが、球団が消滅するなんて想像できてなかった、実感も無かったように思いますよ。私たち、選手だって自分のチームが無くなるなんて想像できませんでしたから。

――さまざまな報道がなされる中、選手会では存続に向けて署名活動を行いましたが。

 私は阪神を戦力外になって、近鉄に拾ってもらった形なので、球団が無くなるというのは悲しかったですね。プロ野球選手であることを続けさせてくれた球団ですし、阪神よりも思い入れは大きかった。なので、親会社・近鉄の経営不振とはいえ、消滅する事態が本当に有り得るのか、と思っていました。今でもなぜ無くならなければならなかったのかと理解できないでいます。

 だから、ライブドアが手を挙げて買収の話となった時、選手は皆、「買ってくれ」という思いでした。
 当事者としては、まずはそのままチームが残ってほしいという思いが強かったです。近鉄のままやっていきたいというのが最後までわれわれの思いでした。しかし、話はどんどん進み、私たち選手への説明も決定事項を伝えるだけで、その結論に至った経緯などは何も聞かされていなかった。だから、抵抗するしかできなかったですね。

 今でも思うのですが、1リーグ制の話やライブドアの身売り反対など、それに至った本当の理由が分からないままです。当事者としては、どういった意図があってそういった話が出てきたのか、今でも知りたいと思っています。

――結局、11月2日に東北楽天ゴールデンイーグルスの新規加盟が実行委員会とオーナー会議で決まりました。

 来年の行き先も決まらず、野球をしながら署名活動をしていたわけですから、シーズンどころじゃなかったですよね。正直、野球は二の次でした。考えることが多すぎて野球どころではなかったですね。

何かを変える時期がまた来た

紆余曲折を経て誕生した東北楽天ゴールデンイーグルスも昨季、日本一に輝いた 【写真は共同】

――04年オフの分配ドラフトで山村さんは楽天に移籍しましたが、当時の気持ちを振り返ると、どうですか?

 私もまだ20代でしたし、とにかく野球をしっかりプレーしなければという思いが強くありました。新しくできた球団で、「ゼロ」からのチームでプレーした選手は近年では誰もいなかったことですが、私たち選手の意識としては、何より野球ができる喜びが大きかったですね。強い弱いということは関係なく、プロ野球選手でいられる、プロ野球選手としてプレーできることがうれしかったですね。

――04年以降、交流戦の創設やファンサービスの強化など、球界は変わろうといろいろな策を講じました。現役の選手として、変わっていったなという実感はありましたか?

 もちろん何か変わるだろう、変えていかなければならないという思いはありました。05年から交流戦も始まりましたし、ファンを大切にしていかなければいけないという雰囲気は強かったです。

 しかし、総じて考えると、プロ野球界、変わったでしょうか? 私は変わってないように感じています。
 最初は交流戦も「面白い」とファンの支持を集め、クライマックスシリーズも創設され、シーズン終盤まで楽しめる要素が増えました。ただ、キャンプ、オープン戦を経てペナントレース、そして日本シリーズで日本一を決める、というプロ野球の一連の流れに変化はありませんでしたよね。

 交流戦も今年で10年目を迎えましたが、マンネリ感も出ています。10年が経ち、一時は新鮮な取り組みもあったと思いますが、さらにプロ野球が面白くなるために何かを変える時期がまた来たのだと思います。

――なぜプロ野球界は変わらないのでしょうか?

 プロ野球界のトップは変わっていないですよね。より大胆な提案を実行していくためにはもっと若い人の力が必要だと感じています。ファンの人が何を望んでいるのか、をもっと吸い上げていくことも大事だと思います。

 また、組織という観点でも改革を加速させていく必要があると思っています。ようやくプロアマの雪解けが進んでいるので、サッカー型をまねてもいいですし、野球独自のピラミッド型組織をつくってもいいと思います。10年先を見据えて構造改革を進めてほしいと思います。

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