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室伏広治、20連覇の軌跡
日本選手権初優勝から鉄人になるまで

健在ぶりを示した20連覇

陸上日本選手権第2日 20連覇で笑顔の室伏  男子ハンマー投げで20連覇を達成し、笑顔の室伏広治=とうほう・みんなのスタジアム
陸上日本選手権第2日 20連覇で笑顔の室伏 男子ハンマー投げで20連覇を達成し、笑顔の室伏広治=とうほう・みんなのスタジアム【共同】

 偉業達成にも、39歳の室伏広治(ミズノ)の声に興奮した様子はまったく感じられない。低くて張りがあり、いつもと変わらない落ち着いた口調で振り返った。

「これまでのどの試合が欠けても、20連覇はできませんでした。どれか1つとは言えませんが、年々(年齢的に)難しくなっていることや、20という区切りでもあったという点で、今回の大会が一番大きな意味があった」


 日本選手権20連勝がどれだけ価値があるか。陸上競技で室伏以前の連勝記録は、“アジアの鉄人”と言われた父・重信氏ら、3選手が持つ「10」だった。室伏の後にやり投げの村上幸史(スズキ浜松AC)が12連勝まで伸ばしたが、2012年にディーン元気(現・ミズノ)に敗れて途切れている。室伏の力がいかに突出しているかがわかる。

 何人かのベテラン記者にも確認したが、他の競技でも個人で日本選手権20連勝はあり得ないのではないか。


 今回の優勝記録は73メートル93。20回の中で5番目に低い数字だった。ただ、雨というコンディションを考慮すると悪くはない。重信氏は、普通のコンディションなら「75メートル、76メートルは行ったのではないか」と見ている。室伏自身、近年は「75メートル以上」を投げることを日本選手権の目安にしていた。重信氏の日本歴代2位が75メートル96なので、国内選手には負けないレベルである。また、右下の表からも分かるように、日本選手権で75メートル以上を投げられれば、ピークを合わせる国際大会で入賞争いができる。

 数字だけを見たら低調だが、室伏健在! を印象付けた20連勝でもあった。

父を理解することで実現した初優勝

【表】室伏広治20年の軌跡(作成・寺田辰朗)(クリックすると拡大)
【表】室伏広治20年の軌跡(作成・寺田辰朗)(クリックすると拡大)【スポーツナビ】

 室伏の20年間は、4つの局面に分けることができる。大きく見るとアテネ五輪で金メダルを取った04年までが成長期、05年以降が熟成期であり、それぞれを前半と後半に分けることができる。成長期前半は1998年までで、「日本選手権の優勝を目指していた時期」(重信氏)だ。


 日本選手権初優勝は大学3年時だが、1〜2年時は「スランプだった」と、室伏は話していたことがある。記録は伸ばしていたものの、高校3年時に66メートル30を投げていた室伏は、すぐにでも70メートルを超えると考えていたのだ。当時の体重が80キロくらいで、投てき選手としては日本人の中でも細身の部類に入った。だが、父親譲りの瞬発力、体のバネは抜群で、ターンのスピードはずば抜けて速かった。重信氏が30歳を過ぎて取り組んだ4回転投法も高校1年時から始め、2年時には形になっていた。


 大学1年時のスランプは、競技生活を通じて悩まされることになる腰痛が出たことが原因だった。また、大学入学後にウエート・トレーニングを本格的に行い始めたが、重信氏によれば体幹よりも腕などの強化を優先した「間違ったやり方」。2年時に腰痛は治ったが、「腕で振り回す強引な投げ方」だった。

 スランプを脱することができたのは、室伏の人間的な成長が大きかった。語学力を生かして海外のトップ選手と交流したり、一時期は反発していた父・重信氏の指導も受け入れるようになった。投げの技術やウエートトレーニングも、重信氏の考えるものに沿って行うようになったのである。


 当時の取材で印象に残っている室伏の言葉がある。

「話の聞き方が分かってきたのです。室伏重信の息子として生まれてきて、父親がコーチであることを運命だと受け止めることで、それができるようになった」

 日本選手権初優勝は、父親を理解することで達成されたのである。

成長期後半は「世界で一番」と重信氏

 日本選手権3連勝を達成した97年には、国内で負けることはあり得ない状態となった。翌98年には重信氏の日本記録を更新しただけでなく、一気に80メートルに近づいた。日本人2番手はやっと70メートルを超えるレベル。98年を境に成長期後半に分類でき、日本選手権は「国際大会の代表権を得るための大会」(重信氏)と位置付けるようになった。


 日本記録更新を見ても、それが分かる。室伏は18回日本新を投げているが、日本選手権では98年の1回だけ。大きな大会で記録が出やすいトラック種目との特性の違いもあるが、99年以降は日本選手権にピークを合わせなくなった。


 99年は世界陸上予選落ち。03年は現役選手世界最高(当時)を投げたが、世界陸上は銅メダル。本番前の練習をやり過ぎて故障をしたためだが、日本選手権前に故障をすることはなかった。そうなると連勝記録が途切れることはない。

 国際大会の成績は表の通り。


 室伏の20連覇を見届けた後に重信氏は、01年から03年までは「世界で一番強かった」と振り返った。

「ジャンプ力、スピード、筋力の、体力と言われる部分はピークで、スナッチはクリーンで195キロまで上げていました。これには中京大の指導者たちだけでなく、重量挙げの五輪メダリストも驚いていました。そのくらいすごいことです」

 衰えた要素も出始めた04年に、アテネ五輪の金メダルを取ったのである。

寺田辰朗

陸上競技専門のフリーライター。地道な資料整理など、泥臭い仕事がバックボーンだという。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。敬愛する人物は三谷幸喜。

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