全てを手にしたシャラポワが走り続ける訳 全仏Vで見せた勝利への渇望

内田暁

スター街道をひたすら走り続ける

全仏オープンを制したシャラポワ。全てを手にしてもなお衰えぬモチベーションと向上心はどこからくるのか? 【Getty Images】

 会見場の席に座ると「ふぅ〜」っと大きく息を吐き出して、満面の笑みを浮かべながら、机上のトロフィーを慈しむように両腕に抱いた。
 1年間で約30億円を稼ぎ出しても、あるいはハリウッドのパーティで人々の称賛の視線を集めても、このトロフィーを抱く瞬間の甘美な達成感と、そこに至るまでのスリルや高揚感に勝るものを彼女は知らない。

 マリア・シャラポワがテニスの全仏オープン(5月25〜8日、フランス・パリ)女子シングルスを制し、通算5度目のグランドスラムタイトルをつかみとった。気温が30度近くに達する初夏のパリ。3時間2分の長期戦は、史上最長決勝戦にわずか2分と迫るものである。

 シャラポワについては、今更多くの説明を必要とはしないだろう。17歳でウィンブルドンを制した時、彼女はテニス界の枠をはるかに超えた存在となり、以降スターとしての道を、ひたすらに脇目も振らずに走り続けることになる。

 188センチのスラリとした長身に、ブロンドの長髪と端正な顔立ち。広告塔としての商品価値に目をつけた企業が、次々とスポンサーに名乗りを上げたのも無理からぬこと。シャラポワはナイキなどのスポーツブランドに加え、タグ・ホイヤー、サムスン電子、エビアン、ポルシェなど、数多くの大企業と契約を結んでいった。米国の経済紙『フォーブス』の試算によれば、年間収入は常に20億から30億。9年連続で、女性アスリートの圧倒的な稼ぎ頭となっている。また、その美貌をファッション界や芸能界が放っておくはずもなく、モデル業などでも自慢の肢体を披露してきた。

 もちろん本業のテニスでも、彼女は世界中のテニス選手が欲する、ほぼ全てのものを手にしている。2004年のウィンブルドン初優勝を皮切りに、足かけ8年で四大大会全てを制する“キャリアグランドスラム”を達成。03年にはWTAツアー最終戦をも手にし、ツアー優勝も今大会を含めて32を数えている。

まるで氷の上の牛のよう

 しかし、それら輝かしい戦績の一方で、彼女のキャリアはケガとの戦いでもあった。08年に肩に痛みを覚え、検査の結果、右肩の回旋腱板損傷と判明。同年末に手術を受け、約8カ月、コートを離れることを強いられた。その後も肩の痛みは間欠的に彼女を悩ませ、昨年も4カ月間、コートに立てない日が続いたのだ。

 またアスリートとしても、必ずしも天賦の才に恵まれていた訳でもない。上背を生かしたパワフルなストロークは彼女の最大の武器ではあるが、長身ゆえに重心が高く、フットワークはお世辞にも良い方ではなかった。また、長い腕で目いっぱいスイングすると、遠心力に引っ張られて、体の回転軸がぶれやすい。そのような彼女の弱点がもっとも表層化したのが、足が滑るクレー(土)のコートであった。

「クレーの上の私は、まるで氷の上の牛のよう」

 シャラポワが、自身を自虐的にそう形容したのは、07年の全仏のことである。08年の時点で全仏を除く3つのグランドスラムを手にしたシャラポワだが、多くの識者が「彼女が、キャリアグランドスラムを達成することはないだろう」と見た理由も、そこにある。クレーでシャラポワが頂点に立つ姿は、“氷上の牛”からは連想できなかった。

 しかしそんな弱点すらも、彼女は克服してみせる。11年末にトレーナーの中村豊氏を雇い、肉体強化とフットワークの改善に取り組んだ。その結果、12年に制した全仏オープンは、彼女のアスリートとしての自負と飽くなき向上心の象徴である。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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