ブラジルW杯はメッシの大会となるのか? 守備に不安も優勝を期待するアルゼンチン
有言実行のマラドーナ。果たしてメッシは……
86年メキシコ大会のマラドーナは、「俺のW杯になる」と言い放ち、それを実現した。果たして、28年後の今回、メッシは同じことを達成できるのか!? 【写真:ロイター/アフロ】
それは1986年のW杯メキシコ大会が始まる一週間前、アルゼンチン代表が合宿していたクラブ・アメリカ(メキシコのクラブチーム)の施設内で迎えたある朝のことだ。新聞を片手に、ある企みを持ってマラドーナとペドロ・パスクッリの部屋を訪れた彼は、パスクッリに向かって、しかしマラドーナの耳にもその会話が届くよう意識してこう言った。
「知っているかペドロ? 今回のW杯では誰もスターになろうとしないんだよ。プラティニもジーコもルンメニゲも、みんな主役にはなりたくないそうだ。つまらない大会になるな」
その翌日、新聞に目を通したシニョリーニはにやりと笑った。そこには「今大会は俺のW杯になる」と力強く言い放つマラドーナが取り上げられていたからだ。
そして結局、彼の言葉は現実のものとなった。
何よりW杯を最優先にしてきたメッシ
昨年10月、マドリー在住のアルゼンチン人記者ロドルフォ・キスレアンスキがスペインの一般紙『エル・パイース』に寄稿した記事が大きな議論をもたらした。「メッシのことは忘れよ」というタイトルのその記事にて、彼は今季のメッシが何よりもW杯へ向けた準備を最優先し、ケガをせぬよう力をセーブしながらプレーしていると主張していた。
既にメッシは2度のW杯を経験しているものの、いずれも結果、内容ともに満足できる大会とはならなかった。2006年ドイツ大会の準々決勝ドイツ戦では、まだ18歳と若くチーム内での影響力もなかったメッシをホセ・ペケルマン監督が起用せず、それがアルゼンチンの敗退を招く一因となった。
監督を任せるには時期尚早だったマラドーナの下、メッシへのサポート体制も不十分だった10年南アフリカ大会のチームは『マスチェラーノとその他10人』と揶揄(やゆ)された。
だが今のメッシは当時とは異なる。バルセロナのシャツを着てプレーしてきた10年を経て成熟し、家族を作り、4つのバロンドールを獲得してきた彼は、もうデビュー当初のような内向的な少年ではない。友人であるチームメートに囲まれ、自身への万全なサポート体制が築かれたシステムの中でプレーしている今の彼は、言葉ではなく行動をもってチームを牽引する選手になった。
現代表は“メッシのためのチーム”
86年大会のマラドーナですら、今のメッシほど多くの好条件がそろっていたわけではない。当時の監督であるカルロス・ビラルドはそれまでキャプテンを務めていたダニエル・パサレラの腕章を“エル・ディエス(10番)”に渡したことが批判の対象となっただけでなく、当時のチームにはマラドーナと相容れぬ考えを持つ選手たち(パサレラ、リカルド・ボチーニ、ホルヘ・バルダーノなど)が存在した。
だが今は、すべてのチームメートがメッシを支持し、彼らもクラックの“OK”を得ている。またサベーラがそれまでキャプテンを務めていたマスチェラーノにメッシを新キャプテンに指名することを相談した際も、問題が生じることはなかった。