奈良くるみ、4年ぶりの全仏に見た成長 躍進生んだ“苦手のクレー”で得たもの

内田暁

クレーコートで行われる全仏オープン2回戦で、奈良くるみが見せた成長とは!? 【Getty Images】

「周りがすごい選手ばかりなので、プレーヤーズラウンジに居ると緊張してしまって……」

 そう言って恥ずかしそうに浮かべた、初々しい笑顔が強く印象に残っている。
 今から4年前の、5月のパリ。当時世界ランキング144位だった奈良くるみ(安藤証券)は、予選3試合を勝ち上がり、全仏オープン本選への出場権を獲得した。その本選では初戦を2−6、2−6で破れたものの、18歳にしての初のグランドスラム出場は、彼女に“日本女子テニス界のホープ”の肩書を与えるに十分であった。
 その後、彼女が約3年間、グランドスラム本選から遠のき、ランキングも200位以下まで低迷するとは、この時のはにかんだ笑顔からは想像しにくかった。

クルム伊達も忌避 日本人選手に不利なクレー

 鮮やかなオレンジ色のクレー(土)のコートは、全仏オープン名物として多くのファンの心を躍らせるが、日本人選手にとっては長く鬼門とも言える場所である。クルム伊達公子(エステティックTBC)が「日本人には無理です」とまで忌避するクレーコートの特性は、滑って安定しない足元と、土を含んで重くなるボール、そしてバウンドが高くなり球足も遅くなるコートの性質などにある。幼い頃からハードコートで育ち、体力や筋力面でどうしても欧米諸国勢に劣る日本人選手の多くは、相手のパワーを生かしたカウンターと、早い展開力に活路を見い出してきた。そのような軽量プレーヤーにとっては、クレーは持ち味をことごとく殺されるコートなのである。

 その事実は、今大会の結果にも如実に表れているだろう。男女計4選手がシングルスに出場した日本勢だが、初戦を突破したのは奈良1人。もちろん、前哨戦で絶好調だった錦織圭(日清食品)がケガで本来の力を発揮できなかった事情もあるが、ある意味ではそれも、体力が求められるクレーの過酷さと難しさを物語っている。

 奈良も、もともとはクレーを苦手とする選手だった。彼女の持ち味の展開力と早いリズムは、クレーコートでは砂粒に削り取られるように威力を失う。しかし、だからこそクレーは彼女に「自分のテニスとは何か?」と考えさせ、新たなプレースタイルへの舵を切らせた場所でもあるのだ。

クレーコートがもたらしたプレースタイルの変化

 今から約2年前、ランキング150位前後に居た当時の奈良は、プレースタイルの抜本的な変革と確立に取り組み始めていた。

 それまでの、カウンターを主体とした受け身のテニスではなく、ボールにスピンをかけて自ら展開していける能動的なテニスへ――。それが、2012年4月からコーチに就いた原田夏希氏と共に、奈良が取り組んでいたテーマである。
 とは言え、既に体にしみついた動きを変えるのは容易ではない。「このままでは上は無いぞ」という原田コーチの言葉は、奈良の心と体には素直に染み渡ってはいかなかった。練習では試していても試合で勝利がついてこず、「本当に変えなくてはいけないのかな?」との疑念から体がすくみ、以前のスタイルに戻ってしまっていた。

 そのようなサイクルから脱却するきっかけこそが、昨年春のクレーシーズンである。従来のプレーではクレー巧者の欧米勢に通用しないと分かった時、奈良に自らを変える勇気が湧いた。ダイナミックなフットワークでコートを縦横に駆け、コンパクトかつ速いスイングでボールに回転をかけて、さまざまな球種で対戦相手を振り回していく。下部ツアーながら、米国ポーランドの大会で優勝、同ペラム大会では準優勝の好成績を残した昨年のクレーシーズンの後、彼女の快進撃が始まった。150位前後だったランキングは、その1年後には44位に。今季は1月の全豪オープンで3回戦に進出し、今回の全仏には、トップ50選手として堂々たる帰還を果たした。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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