内田篤人、勝利の重要性を誰よりも知る男 負傷を乗り越え、W杯のスタートラインへ
スタッフへの感謝を胸に、久しぶりのピッチへ
決勝ゴールを挙げ、勝利に貢献した内田。ケガと戦っていた頼れる男がようやくW杯本番のスタートラインに立った 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
27日の壮行試合・キプロス戦(埼玉)前日に本人がこう語っていた通り、内田篤人の試合出場は直前まで未知数だった。だが、当日のスタメンには彼の名前がしっかりと記されていた。酒井宏樹が右の膝蓋腱炎(しつがいけんえん)で出遅れ、酒井高徳も24日のトレーニング中に右膝を負傷するなど、右サイドバック要員3人の中で内田の状態が最もよかったことも、先発出場を後押ししたのだろう。
内田が公式戦に出るのは2月9日のドイツ・ブンデスリーガ第20節ハノーファー戦以来。右太ももの腱断裂という予期せぬアクシデントが起きたのは、2−0でリードしていた試合終盤だった。彼は好調だったがゆえにドリブルで中盤まで攻め上がり、相手を股抜きして前に出ようとした。が、着地の仕方が悪かったのか、その場にうずくまってしまう。過去に何度も繰り返している肉離れを再発させたと見られ、長期離脱は必至の情勢だった。
ところが、負傷の状態は予想以上に深刻で、実際は膝裏側の腱が切れていた。すぐに帰国し、保存療法で回復を目指すことになり、JISS(国立スポーツ科学センター)でリハビリを実施。3月末にはドイツへ戻って復帰を目指した。「何としてもブラジルワールドカップ(W杯)の舞台に立ちたい」という強い思いが、3カ月半の過酷な日々を支えていたに違いない。彼は自分をサポートしてくれた多くのスタッフへの感謝を胸に、久しぶりに大観衆の見守るピッチに立った。
コンディションをどこまで持っていけるか
そして前半43分には、山口蛍、岡崎慎司、香川真司とボールが渡り、香川が巧みなコントロールからシュートにいったこぼれ球に、彼は鋭く反応する。一度はシュートをブロックされたが決して諦めることなく粘り、2008年6月のバーレーン戦(埼玉)以来の代表2点目となる先制点をたたき出した。
「何回もあそこにこぼれるのを見ていたので、実は狙ってました。今日は何となく45分だと分かったし、だんだん時間が少なくなってきたところで、たまたま自分に当たりました」と話した内田は、ケガの治療や回復に尽力してくれたトレーナーやドクターのいるベンチへ一目散に駆け寄り、喜びを分かち合うと同時に感謝を体いっぱいで表現した。
大仕事をした内田が下がった後半は、相手の疲労に加え、チーム全体がタテへの意識を強めたこと、大久保嘉人の出場で前への推進力を増したことで、流れは格段によくなった。しかし最終的には内田の挙げた1点が決勝点となり、日本は辛くも壮行試合で勝利。直前合宿地の米国・タンパへ赴くことになった。
この一戦を経て、内田はやっとW杯・ブラジル大会本番へのスタートラインに立った。これまでは「いつ90分間プレーできそうか? 分からないですね。グループリーグの相手のことも何とも言えない」と明確な絵を描けていなかったが、ようやくその段階まで来たと言っていい。6月15日(日本時間)の初戦・コートジボワール戦までの約2週間のうちに、いかに再発の恐怖心を拭い去り、自分自身のパフォーマンスを絶好調時に近づけるのか……。ここからが最後の大勝負になりそうだ。