バッジョ、ジダンらスターが紡いだ歴史 W杯過去5大会の名勝負を振り返る

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チームを救ったプロフェッショナルファウル

決勝に出場できなくなることが分かっていながら、自らを犠牲にしてファウルを犯したバラック(13番)。チームの危機を救うファインプレーだった 【Getty Images】

2002年 日韓大会準決勝 ドイツ 1−0 韓国

 W杯初となるアジアでの開催は、日本と韓国の共催という形で行われた。ベスト16で敗退した日本に対し、韓国はグループリーグでポルトガル、決勝トーナメントでイタリアとスペインを破るなど旋風を巻き起こしていた。準決勝の相手はドイツ。初戦でサウジアラビアに8−0と圧勝したものの、それ以降は苦戦続きでなんとか勝ち上がってきたチームとあり、勢いでは完全に韓国が上回っていた。

 ホームでの大歓声を背に序盤から押し込んだのは韓国。パク・チソンやイ・チョンスらがドイツゴールに迫るも、GKオリバー・カーンを中心とする守備陣に跳ね返された。ドイツも徐々に反撃を開始していくが、決定機を作るまでには至らない。試合は後半半ばまでこう着状態が続いた。事件が起こったのは71分。韓国のカウンターをファウルで止めたドイツのミヒャエル・バラックにイエローカードが提示されたのだ。すでに前の試合までに1枚イエローカードをもらっていたバラックはこの瞬間、累積警告により決勝に出場できないことが決まった。ただ、もしこの場面で相手を止めなければ、フリーの選手につながれ失点を喫していた可能性は十分にあった。決勝に出場できなくなることを分かっていながら、バラックは自らを犠牲にして、チームの危機を救ったのである。

 しかし、バラックはこれだけでは終わらなかった。75分、右サイドからの折り返しを中央で合わせて値千金のゴールまで決めてみせたのだ。まさにバラックの獅子奮迅とも言える活躍でドイツはファイナルに駒を進めた。ブラジルとの決勝にバラックは出場できず、結局ドイツは準優勝に終わった。この年、バラックは当時所属していたレバークーゼンでリーグ戦、DFBカップ、チャンピオンズリーグで全て2位という珍しい結果を残している。そしてW杯でも2位となり、これ以降“シルバーコレクター”というありがたくない通称を持つことになったのだった。

フランスの将軍が見せた最後の輝き

3人に囲まれながらボールをキープするジダン。ブラジル守備陣をモノともせず、輝きを放ち続けた 【Getty Images】

2006年 ドイツ大会準々決勝 フランス 1−0 ブラジル

 この大会の優勝候補筆頭は、バロンドール受賞者のロナウジーニョを擁し、ロナウド、アドリアーノ、カカとクラック(名手)をそろえた前回王者のブラジルだった。事実、ブラジルはグループリーグを3戦全勝。決勝トーナメント1回戦でもガーナを3−0で粉砕し、圧倒的な実力を見せた。

 一方のフランスは、グループリーグでスイス、韓国と2戦連続で引き分けるなど苦戦を強いられた。なんとか2位で突破し、決勝トーナメント1回戦ではスペインを破ったものの、下馬評では完全にブラジル優勢。フランスの勝利を予想する声は少なかった。

 しかし、ふたを開けてみれば、主導権を握ったのはフランスだった。この大会を最後に引退することを公言していた元バロンドール受賞者、34歳のジネディーヌ・ジダンが全盛期を思わせるプレーを披露。巧みなパスや圧倒的なキープ力で中盤を完全に支配すると、それに呼応するかのようにティエリ・アンリやフランク・リベリーが躍動する。そして57分、この試合唯一のゴールはやはりジダンの足から生まれた。ジダンの左FKを、ファーサイドに詰めたアンリが右足インサイドで合わせたのだ。ジダンのアシストからアンリが決めたのは、共にフランス代表でプレーしてから56試合目にして初のこと。フランスに生まれた2つの巨星がW杯のブラジル戦という大舞台でついにシンクロした。

 ブラジルは自慢のカルテット・マジコ(魔法の4人組)が完全に沈黙。大一番で光を放ったのはロナウジーニョやW杯通算得点を更新したロナウドではなく、フランスの“将軍”だった。その後、決勝にたどり着いたジダンは、現役最後の試合を退場(イタリアのマルコ・マテラッツィに頭突きをしたため)という形で締めくくる。ペレやデイビッド・ベッカムら多くの選手から「史上最高のプレーヤー」と評された不世出の天才がブラジル戦で見せたのは、文字通り最後の輝きだった。

初の世界一、亡き友に捧げた決勝ゴール

決勝ゴールを挙げたイニエスタが歓喜の疾走。アンダーウェアに記されていたのは亡き友への思いだった。 【Getty Images】

2010年 南アフリカ大会決勝 スペイン 1−0 オランダ

 初のアフリカ開催となった同大会の決勝に駒を進めたのは、共に初優勝を目指すスペインとオランダだった。08年のユーロ(欧州選手権)を制し、優勝候補に挙げられていたスペインはグループリーグ初戦でスイスにまさかの敗戦。いきなり窮地に立たされたが、決勝トーナメントに入ってからは、ポルトガル、パラグアイ、ドイツを全て1−0で破る勝負強さを見せ、ファイナルまでたどり着いた。一方のオランダはグループリーグを3戦全勝。その後も準々決勝でブラジル、準決勝でウルグアイという南米勢を退けてきた。

 攻撃的なチーム同士の対戦とあって、打ち合いが予想されたものの、試合はスペインがボールを支配し、オランダがカウンターで対抗する展開となった。一進一退の攻防が続く中、オランダはアリエン・ロッベンがGKと1対1になるチャンスを2度迎えるも、スペインのイケル・カシージャスがこれをスーパーセーブで防ぎ、スコアは動かない。

 W杯決勝史上6度目となった延長戦に突入すると、両チームともに満身創痍の状態に陥る。オランダは延長後半4分にDFのヨン・ハイティンハが2枚目のイエローカードで退場。スペインも交代出場で入ったフェルナンド・トーレスが足の違和感でピッチの外に出るなどギリギリの戦いを強いられた。前回大会に引き続きPK戦決着がちらつき始めたが、延長後半11分、スペインがついに均衡を破る。相手のクリアボールをペナルティーエリア付近で拾ったセスク・ファブレガスが右に走り込んだアンドレス・イニエスタにスルーパス。受けたイニエスタが浮いたボールを右足ボレーでたたき込んだのだ。

 溢れる感情が爆発したのはこの直後だった。イニエスタがユニホームを脱ぐと、その下に着ていたアンダーウェアにはある手書きのメッセージが書かれていた。「ダニ・ハルケ、いつも僕らとともに」。それは、09年8月に急逝したエスパニョールのキャプテンで、親友でもあったダニエル・ハルケへの思いをつづったものだった。試合はこのままスペインが1−0で勝利。亡き友に捧げたイニエスタのゴールは、母国を初の世界一に導いた歴史的な得点にもなったのである。

 W杯の歴史は、ここに挙げた偉大な選手たちが紡いできた歴史でもある。今大会はこれが3度目の出場となるアルゼンチンのリオネル・メッシや、ポルトガルのクリスティアーノ・ロナウド、開催国ブラジルの期待を一身に背負うネイマールといったスターがしのぎを削る。新たな名勝負の誕生に、今から期待は高まるばかりだ。

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