“世界を知る男”加藤陽一が現役に別れ 黒鷲旗で見せた変わらぬエースの肖像

米虫紀子

自ら歩み寄る、加藤の変化

海外移籍後、自ら歩み寄るようになった加藤。若い選手たちにも親しみやすい先輩だった 【坂本清】

 つくばユナイテッドで、加藤は現役最後の5年間を過ごし、10年からは選手兼任監督を務めた。現在チーム最年少の選手は23歳。加藤とは14もの年の差だ。過去には10代の大学生が所属していたこともある。彼らにとって加藤は、子どもの頃にテレビで見ていた雲の上の存在だ。しかし今の加藤は、そんな若い選手たちに自ら歩み寄る。

 昨季までつくばユナイテッドに所属していた出耒田(できた)敬(堺ブレイザーズ)は、「大学1年で初めてチャレンジリーグに参加して、どうしたらいいのか分からずにいた時に、加藤さんは積極的にコミュニケーションをはかってくれました。たまにブラックジョークを言って、ほぐしてくれたりもしましたね」と振り返る。

 カラオケに行くと、加藤はAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を振りつきで歌い、ももいろクローバーZの曲も熱唱するという。若手選手との距離を縮めようと努力しているのだ。「実は練習しています(笑)。若い人たちが何を考えているのか、何がはやっているのか、情報を集めて勉強していますよ」と加藤。

 若い頃の加藤を知る人には想像できない姿かもしれない。

 全日本で華々しく活躍していた頃は、孤高の存在だった。筑波大の3年先輩で、東レや全日本でも共にプレーした小林敦・現東レ監督は、こう回想する。

「今でこそよく話すようになりましたが、昔は寡黙(かもく)で、積極的にコミュニケーションをとるタイプじゃなかった。スターだからってえらそうにすることは全然なかったですが、自分の世界を持っているから、その世界を周りが壊しちゃいけないのかな、という感じでした」

 海外移籍を経て日本に戻ってから、加藤は少しずつ変わり始めた。

 JTで共に過ごしたリベロの酒井大祐は振り返る。「最初チームに来た時は“オレは加藤陽一だ”というオーラがありました。多くは語らず、何を考えているのか分からなかった。でも徐々に、歩み寄ろうとしてくれていると感じるようになりました」

 劇的に変わったのは、つくばユナイテッドに移籍してからだ。若者にはやりの歌を練習するようになったのもその頃。その変化について、加藤はこう明かす。「やっぱり、自分一人では勝てなくなってきたから、というのはありますね。自分が引っ張っていくことができないとなると、周りの人の力を借りなきゃいけない。そのためにはコミュニケーションが重要ですから」

後輩に伝えた“エース”の姿

 つくばユナイテッドでは、そうした親しみやすい先輩でありながら、コートの中では頼もしい柱だった。出耒田は言う。

「大黒柱でした。たまに加藤さんが抜けると、チームがバラバラになっているのが目に見えて分かったぐらい大きな存在。周りの選手も、観客も、引き込んでいく力がすごい。スター性があります。たとえ劣勢でも、加藤さんが堂々としているから、僕らも安心してできました」

 加藤は、プロであることと同じく、“エース”というものにもこだわり続けた。

「ただ単にエースとして脚光を浴びているのではなくて、レシーブやトスを上げてくれた人のために1点を取るんだという気持ちが大事。ファンの方や、自分を犠牲にした人が、自分の得点の前にはいることを忘れてはいけない」

 出耒田や、同じく昨季までつくばユナイテッドに所属した椿山竜介(現サントリーサンバーズ)が今年、全日本に選出された。2人は清水邦広(パナソニック)の後を継ぐオポジットの候補だ。加藤の姿を見てきた選手たちが、加藤が唯一かなえられなかった五輪という夢を、かなえる日が来るかもしれない。

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著者プロフィール

大阪府生まれ。大学卒業後、広告会社にコピーライターとして勤務したのち、フリーのライターに。野球、バレーボールを中心に取材を続ける。『Number』(文藝春秋)、『月刊バレーボール』(日本文化出版)、『プロ野球ai』(日刊スポーツ出版社)、『バボちゃんネット』などに執筆。著書に『ブラジルバレーを最強にした「人」と「システム」』(東邦出版)。

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