日本代表を「選んだ」若き逸材 南アフリカで進化した松島幸太朗

斉藤健仁

高校卒業後に単身、南アフリカへ

日本代表のジャージで「花園」に戻ってきた松島幸太朗 【斉藤健仁】

 花園の芝を3年ぶりに駆けた。
 
「エディージャパン」3年目に向けた4月26日、日本代表が「JAPAN XV」として、アジア・パシフィックドラゴンズと今シーズンの初戦を行った。29−35で敗戦したが、後半9分、21歳の松島幸太朗(サントリー)がWTB石井魁(東海大3年)と代わりピッチに立った。松島は「花園は高校3年生の決勝以来ですかね」と懐かしがったが、「まだWTBのポジションに慣れていない。次に試合に出たときはトライを取ってアピールしたい」と悔しさもあらわにした。

 覚えている方も多いだろう。2010年度の「花園」こと全国高校ラグビー大会で“柔”の松島と“剛”の竹中祥(筑波大4年/元日本代表)は桐蔭学園高(神奈川)の2枚看板としてトライを量産。準決勝では松島は100mを独走しトライを挙げ、決勝は日本代表のFB藤田慶和(早稲田大3年)を擁した東福岡高(福岡)と31−31で引き分け、母校に初優勝(同時優勝)をもたらした。

 生来のバネと変幻自在のステップで将来の日本を担うと期待された逸材は、ほかの選手とは違う道を選択する。強豪大からの誘いを断り、「スーパーラグビーに挑戦したい」と単身、ジンバブエ出身の父(故人)と3歳まで暮らした、生まれ故郷の南アフリカへ渡った。

南アフリカU20代表候補に選出

竹中や藤田らの活躍は「気になっていましたし、刺激になっていました」 【斉藤健仁】

 南半球最高峰リーグであるスーパーラグビー、シャークスの育成機関に入り、U19やU21でチームの中心選手としてプレー。ライバルの竹中や藤田らの活躍は「気になっていましたし、刺激になっていました」という松島は、昨年は南アフリカでは「カリーカップ」に次ぐ「ボーダコムカップ」のメンバーにも選出、トライを奪うなど順調に研さんを積んだ。

 松島は南アフリカでの3年間の武者修行を「ランやステップが伸びた。練習や対戦相手にスーパーラグビーに出場している大きな選手がいて、それに対応するためにフィジカルも付いてきました。ディフェンスができないとメンバーに入れないので、日本にいたころに比べてタックルにも行くようになりました」と振り返った。

 2年前、松島は南アフリカのU20代表候補の合宿のメンバーにも名を連ねた。だが「うっかり試合に出てしまうと日本代表になれなくなってしまうので……」と、招集には応じなかった。幼少時から日本人である母と日本に住み、5歳の頃に日本国籍を取得した松島は、桜のジャージーを選択した。

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著者プロフィール

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーとサッカーを中心に執筆。エディー・ジャパンのテストマッチ全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」、「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「ラグビー「観戦力」が高まる」(東邦出版)、「田中史朗と堀江翔太が日本代表に欠かせない本当の理由」(ガイドワークス)、「ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「エディー・ジョーンズ4年間の軌跡―」(ベースボール・マガジン社)、「高校ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「ラグビー語辞典」(誠文堂新光社)、「はじめてでもよく分かるラグビー観戦入門」(海竜社)など著書多数。

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