“甲子園を目指さない”高校野球部の挑戦 芦屋学園は野球界の新たな選択肢となるか

中島大輔

産声を上げた芦屋学園ベースボールクラブ

高野連に所属しない、芦屋学園ベースボールクラブを立ち上げた大八木淳史氏(左)とGMに就任した片岡篤史氏 【写真提供:芦屋学園】

 龍谷大平安高校が58年ぶり、センバツでは初の甲子園優勝を果たした今春、同じ関西にある高校でひとつの硬式野球チームが産声を上げた。彼らは、絶対に甲子園に出場することができない。なぜなら、日本高校野球連盟(高野連)に所属していないからだ。

 芦屋学園ベースボールクラブ――。あえて横文字のチーム名を冠したのは、既存の枠組みにとらわれないという意気込みのように受け取れる。
 2014年4月14日、芦屋学園に新入学した14人の高校生と4人の中学生は、ベースボールクラブの一員として活動をスタートさせる予定だ。練習は月曜から金曜まで、週に5日間行われる。土日は通常の高校なら練習試合にあてるケースが多いものの、芦屋学園では未定だ。その理由にこそ、彼らの学生野球界における特殊性がある。

 13年10月、芦屋学園中学・高校が翌春に野球部の創設を発表すると、前代未聞の取り組みが話題を呼んだ。高野連に所属せず、学生時代から元プロ選手による指導を施し、将来、プロ野球やメジャーリーグでプレーする人材を育成しようというのだ。彼らはこの取り組みを「芦屋学園スポーツモダニズムプロジェクト」と名付け、野球に加えてボクシング、バスケットボール、ラグビーでも世界に通用するアスリート育成を目指している。
 先駆けてスタートしたバスケットボール、ボクシングの取り組みを発表した際は、さしたる反響がなかったという。だが、ベースボールクラブは違った。それだけ日本人にとって野球は特別なスポーツであり、甲子園は思い入れのある場所なのだ。

 芦屋学園の発想はあまりにも従来の常識とかけ離れ、週刊誌やネット上で大きな反応を呼んだ。「高野連にケンカを売った」と、過激な見出しで煽られたこともある。

「高野連ともめるつもりはありません(苦笑)。現在は多様な時代になっているので、子どもたちにさまざまな選択肢があることを提示したい」

 そう話すのは、芦屋学園中学・高校の校長を務める大八木淳史だ。かつてラグビー日本代表として活躍した男は現在、学校スポーツで革新的な取り組みを行っている。

高野連に所属しないことのメリット、デメリット

昨年11月に行われた練習会「ワークアウト」では、兵庫ブルーサンダーズの2軍監督で元阪神の池内氏らも直接指導にあたった 【写真提供:芦屋学園】

 高野連に所属しないことのデメリットは、前述したように甲子園に出場できない点だ。さらに言えば、高野連の加盟校と練習試合をすることもできない。実力向上のために実戦は不可欠であり、この点をどうクリアしていくかという課題は未解決のままである。

 だが同時に、高野連に加入しないメリットもある。最も大きいのは、学生時代から元プロ選手の指導を受けられることだ。
 中学、高校、大学の一貫教育を行っている芦屋学園は12年、独立リーグの兵庫ブルーサンダーズと提携した。大学はその2軍、中学・高校は育成軍という位置づけだ。日本ハムや阪神で活躍した片岡篤史がベースボールクラブのゼネラルマネジャー(GM)に就任し、2軍監督は元阪神の池内豊、育成軍は広島工業高校で監督を務めた永山英成が率いている。大学の野球部は初年度こそ2人の入部者しかいなかったものの、翌年は15人に増加し、独立リーグの試合に出場した選手もいる。うまくいけば、プロ選手輩出も夢ではないと学園側は考えている。

 一方、中学・高校世代で懸念材料と見られていたのが、学生が集まるのかという点だった。甲子園は高校野球の象徴であり、聖地だ。後にプロを目指す者も、そうでない者も、すべての球児が憧れる場所である。そこに絶対にたどり着けないと分かっていて、果たして芦屋学園を進学先に選ぶのだろうか。
 その心配は前述した通り杞憂(きゆう)に終わったが、言及しておくべきことがひとつある。芦屋学園の関係者によると、ベースボールクラブに入った18人はすぐにプロを目指せる実力ではないという点だ。
 しかし、これは学園側にとって想定内だった。なぜなら今回の取り組みには、もうひとつの大きな目的があるからだ。
 スポーツモダニズムプロジェクトを始めた理由について、大八木はこう語っている。伏見工業高校ラグビー部時代に、ドラマ「スクール・ウォーズ」のモデルとなった山口良治から指導を受けた者の言葉として聞くと、興味が深まるはずだ。

「甲子園を目指す野球部、花園を目指すラグビー部の一部では、プロフェッショナル以上の勝利至上主義がある。そうした今までの部活動と違う発想で何かできないかと考え、今回のスポーツモダニズムプロジェクトが生まれた。私が高校でラグビーをした1970年代と2014年では、明らかに時間軸が違う。スポーツのサイエンス化やビジネス化など、時代に応じて変化していくのがスポーツ本来の特徴だと思う」

大八木がベースボールクラブを作った理由

 大八木は神戸製鋼で現役引退後、タレント活動を経て、43歳のときに同志社大学大学院に進学した。学校教育におけるスポーツのあり方などを研究し、07年、高知中央高校ラグビー部のGMに就任する。私立の同校は知名度を高めるために全国から有名なスポーツ選手を集め、野球やサッカー、バレーボールで実績を残した。
 だが一方で、生じた問題もある。レギュラーになれなかった部員が挫折し、停学や退学者が増加したのだ。彼らを更生させるためにラグビー部が作られ、大八木に白羽の矢が立った。高知中央高校には3度目の停学処分を受けると退学になる決まりがあり、大八木は“リーチ”のかかった生徒に「ラグビーでやり直してみないか」とチャンスを与えた。チームワークや自己犠牲の精神が欠かせないラグビーを通じ、人間教育を施そうとしたのだ。「ラグビー不毛地域」とされる高知で県大会に出場するのは4校だったが、大八木は創部2年目の08年に花園出場へと導いた。

「ラグビーボールを持つことで、生きるための考え方を変化させた生徒がたくさんいた。強豪校でいじめを受け、不登校になり、高知中央に来た生徒もいる。GMを務めた5年間で、世の中のニーズを実感した。既存の部活とは違った角度から教育を考え、スポーツという装置を使いながら、生徒を良い大人にすることで良い社会ができていく」

 大八木が高知中央高校を去った11年、芦屋学園は経営状況が芳しくなかった。立て直しが不可欠で、芦屋学園に呼ばれた大八木はスポーツモダニズムプロジェクトのリーダーを任された。NPO法人ルーキーズによると、全国には16万7000人の高校球児がおり、毎年1万5000人が途中退部している。彼らがもう一度野球をしたいと思ったとき、その受け皿は果たしてどこにあるのか。そうした背景で誕生したのが、芦屋学園ベースボールクラブだった。

 言うまでもなく、私学の経営にはビジネスの側面もある。採算が取れなくては、教育の場を提供できない。ただ、そうした前提を考慮しても、芦屋学園のスポーツモダニズムプロジェクトには深い意義がある。現状の学校教育における部活動、特にプロフェッショナルや五輪出場を目指すようなトップクラスでは、一度挫折した者が転落の道を転がり落ちやすい側面は否めない。日本社会全体にも言えることだが、一度失敗した者にもっと手を差し伸べてやるシステムづくりが必要だ。

1/2ページ

著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント