なぜパラリンピックの放送は少ないのか=テレビとの関係から知る今後の可能性
「見る」から次のステップへ
2冠を獲得した狩野亮(写真)など、ソチ大会での日本勢の活躍はテレビでも報じられている 【写真:アフロ】
ソチ大会が開幕したので、実際に競技をテレビ見た方も多いと思いますが、何か感じるものがあったのではないでしょうか。特に初めての方は、想像以上の迫力やスピード感、競技スポーツとしてのレベルの高さに驚いたはずです。まさに、そのスポーツを観戦した時の興奮が次へのステップの鍵になると思っています。
具体的には大きく2つのテーマがあると考えています。
(1)スポーツの魅力の再確認
(2)アスリートとしての敬意
この2点についてテレビ放送を題材に掘り下げてみたいと思います。
五輪とパラリンピックで違うのはなぜ?
よく聞かれる質問の1つですが、それはテレビ局の意思というよりも、われわれ視聴者自身への課題と言えるかもしれません。民放地上波は商業放送なので、スポンサーがつくことが前提になります。そのスポンサーは視聴率が低い番組にはつきにくい。つまり、日本にパラリンピックを見たい人がどれほどいるのか、ということに返ってきてしまうのです。※1※2
言い換えれば、「なぜ五輪の視聴率は高く、パラリンピックは低い(と想定されてしまう)のか」ということになります。これは、パラリンピックを五輪と同じようにスポーツとして認識しているか、に尽きます。日本代表として日の丸を背負って、という感情移入できる点が高視聴率の理由の1つならば、それはパラリンピックも同じはずです。
五輪中継が多くの人に見られているのは、スポーツの魅力があるからこそ。では、スポーツの魅力とは何でしょうか?
ボッチャの選手が発した衝撃的な言葉
スポーツの魅力を考えるにあたって、参考になればと思い、私が経験したあるエピソードを紹介します。2009年に東京でアジアユースパラゲームズという大会が開催されました。言わばパラリンピックの若手アジア大会版です。そこで「ボッチャ」という種目を初めて取材しました。ボッチャとは、エリアの中にボールを投げるスポーツで、ルールや作戦などがカーリングと似た夏季パラリンピックの正式種目です。重度脳性麻痺者もしくは同程度の四肢重度機能障害者のために考案されたスポーツなので、選手たちの障害は他の種目と比べても非常に重く、手や足が使えず、口にストローのような器具をくわえてその先端でボールを押し出す選手もいます。中には、平均寿命が20〜30歳と言われる障害を持つ選手もいます。
最も障害が重いクラスに出場する、ある選手のプロフィールに目が止まりました。そこには「なぜボッチャを始めたのか?」という問いに対し、「ボッチャをプレーしている時だけが対等でいられるから」と書いてありました。誰かのサポートがなければ自分だけで食事もトイレもできない。けれどもボッチャをプレーしている、スポーツをしている、その時だけ、自分の意思で作戦を考え、自分の判断でボールをコントロールし、自分の力だけで相手と勝負できる。だからボッチャをやっている、のだと。非常に考えさせられる衝撃的な言葉でした。
スポーツが持っている公平さと寛容さ。だからこそ、チャレンジして自分の能力を試したくなる人間の本能、その能力を高め記録や対戦相手を破るための努力……。それらがスポーツの魅力ではないでしょうか。自分に重ねて応援したくなる、突き詰めた人間の可能性を見たくなる、というスポーツの魅力を、私はボッチャを通じて再認識できたのです。パラリンピックには、そのスポーツの根源的な魅力が溢れていることに気づかされました。
スポーツを観戦すると、なぜ興奮や感動があるのか。なぜ勇気が湧くのか。皆さんも自分に問いかけてみてください。そして、出てきた答えがパラリンピックと結びつくかどうかを確かめてください。スポーツの魅力を再確認する人が多くなれば、おのずとパラリンピックの注目度や需要が高まる、そんな流れさえ期待してしまいます。
※1 2014年1月9日、国際パラリンピック委員会(IPC)はソチパラリンピックとリオパラリンピックの日本における独占放送権をNHKが獲得したと発表。
※2 2014年1月28日、スカパーJSAT株式会社は同社の会見にて、ソチパラリンピックとリオパラリンピックの放送権をNHKからサブライセンスで獲得したと発表。