明確化した日本男子マラソン向上の条件=松村、地力向上で東京マラソン快走

加藤康博

松村は2時間8分台をマークし、日本人トップの8位に入った 【坂本清】

 天候はくもり、気温3.8度の好コンディションのもとで、23日に行われた東京マラソン。今年も30キロでペースメーカーが外れてからレースが動いた。有力な海外招待選手がここからペースアップし、ディクソン・チュンバ(ケニア)が大会新記録となる2時間5分42秒で優勝。上位3名が大会記録を更新するハイレベルなレースとなった。日本人トップの松村康平(三菱重工長崎)も8位ながら2時間8分09秒の好タイムで、今秋のアジア大会(9月・韓国)代表の座を大きく手繰り寄せた。

世界レベルのハイペースのレースに

 大会主催者から発表されたペースメーカーの設定タイムは1キロ2分58秒。このペースでの想定フィニッシュタイムは、2時間5分10秒前後になる。東京マラソンがワールドマラソンメジャーズに加入し2年目。「世界レベルの大会」らしい高速設定だが、日本人選手もそれにひるむことはなかった。
「ペースメーカーに日本人がいないので速くなるのは分かっていました。でもそこで引いてしまうと2時間10分、11分のレースになってしまう。初めからついていくことを考えていました」と松村。初マラソンの宮脇千博(トヨタ自動車)、直前にインフルエンザにかかって体調が不安視された藤原新(ミキハウス)も快調にレースの流れに乗った。先頭の5キロ通過は14分51秒、10キロ通過は29分39秒。この時点で日本人選手も11名が第1集団に加わった。

 15キロを過ぎ、一度レースが落ち着き、5キロごとのラップタイムも初めて15分台に。しかし、直後に宮脇が先頭集団の後方に下がり、時折、右でん部を気にするそぶりを見せる。そして24キロを過ぎるとついに耐えきれず、集団から遅れ始めた。
 宮脇は、「15キロから、しびれる感じで違和感が出ました。20キロでペースが落ち着き、一度はおさまったんですが、そこからは足が持たなくて。30キロまでいければけいれんが起きても何とか粘れると思っていたのですが」と想定より早く足に疲労が出たことを悔やんだ。

 その直後、26キロを過ぎてから今度は藤原が脱落。さらに29キロ付近で松村ら日本人4人も遅れ、先頭グループに残ったのは黒崎拓克(コニカミノルタ)のみとなった。

松村、課題克服で3戦連続自己ベスト更新

 30キロでペースメーカーが離れると海外招待選手は一気にペースアップし、黒崎も離されてしまう。35キロから、チュンバとタデセ・トラ(エチオピア)はこの5キロを14分21秒にまで上げ、マッチレースを開始。優勝は今年も海外勢によって争われることになったが、その後方でただ一人ペースを上げた日本人が松村だった。

「日本人4名の中で、自分が前に出た時にリズムを作れた。離れた後、一呼吸おいて立て直せたのと、思ったより前の日本人選手が離れていなかったので」と36.6キロで黒崎をとらえると、自己ベストを2分以上更新してのフィニッシュとなった。

 松村は山梨学院大を卒業後、三菱重工長崎に進んで5年目。2011年の別府大分毎日マラソンで初マラソンに挑み、2時間11分58秒で日本人トップ。昨年のびわ湖毎日マラソンで2時間10分12秒へと記録を伸ばし、これで3戦連続の自己ベストを更新だ。

「前回のマラソン(びわ湖)では40キロ通過が2時間3分ちょうどで、(残りの2.195キロで)7分を切っていたらサブテンだったんです。なので、ラストを動かさないといけないと、ずっと意識してきました。(マラソンに向けた)練習でも最後はなかなか動かなかったのですが、そういうときこそラストを意識してやってきました」。今大会、ラスト2.195キロは全体で3番目に速い6分43秒でカバー。前回の課題を克服しての目標達成だ。

 その要因を「マラソンに向けた練習は狙ったレースだけでなく、(選手としての)地力を上げることにつながっている。今回もアップダウンのあるコースで40キロ走をしても、昨年と同じタイムで走れていましたし、レースペースでの練習も体が動いていたので自信がありました」と冷静に振り返る。今年度5000メートル、1万メートルでも自己ベストを更新していることも「地力向上」の証しと言えるだろう。

1/2ページ

著者プロフィール

スポーツライター。「スポーツの周辺にある物事や人」までを執筆対象としている。コピーライターとして広告作成やブランディングも手がける。著書に『消えたダービーマッチ』(コスミック出版)

新着記事

スポーツナビからのお知らせ

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント