若手が勢いつけ、先輩が応えた理想的な展開=船木和喜が団体16年ぶりメダルを解説
ジャンプ団体で銅メダルを獲得し、表彰台で跳び上がって喜ぶ(左から)清水礼留飛、竹内択、伊東大貴、葛西紀明=ソチ 【共同】
日本は1番手の20歳・清水が132.5メートルの大ジャンプで勢いをつけると、竹内、伊東もK点を越えるジャンプで着実に加点。4人目の葛西が個人ラージヒル銀メダルの勢いそのままに134メートルを飛び、1本目を終えて3位につける。2本目も再び清水が131.5メートルのジャンプで好発進。竹内、伊東も130メートルオーバーで続き、締めは葛西が134メートルの大ジャンプを決めた。金メダルはドイツ、銀メダルはオーストリアが獲得した。
16年前、長野五輪で団体金メダルに輝いた船木和喜さんは、この試合をどう見たのか。個人とはまた違った、団体ならではの戦い方を解説してもらった。
清水が切り込み、伊東が挽回して波に乗る
まずは1人目、若手の清水くんが大きかったですね。団体は飛ぶ順番で各国の作戦、駆け引きがあります。ここでノルウェーはエースのアンデシュ・バーダルを起用してきました。個人ノーマルヒルで銅メダルを獲得した選手です。メダリストが大ジャンプを見せることで、後続の選手にプレッシャーをかけようという狙いですね。この重圧に押しつぶされ、前評判の高かったスロベニアは撃沈しています。でも清水くんはそんな状況をものともせず、第1グループで2位につける好ジャンプを見せました。最高の形で竹内くんにバトンを渡しました。
竹内くんは条件が追い風でした。それでも空中で何とか対応して127メートルを飛びました。得点は伸びませんでしたが、悪条件の中、あそこまで飛べたことは称えたいですね。ただ、順位は2位から4位に落ちた。しかも条件はさらに悪くなっていました。伊東くんはそれを挽回(ばんかい)しようと飛んだわけですが、130メートルを越えるジャンプで流れを引き寄せることができました。これで日本チームはいい波に乗れました。
3位でバトンを受けた葛西さんは実力通りのジャンプでした。「大逆転しなければ」「俺がなんとかしなければ」という状況ではなかったので、力みなく飛べたと思います。4人がいい形でバトンを渡した結果、メダル圏内で折り返すことができました。
――メダルが懸かった2本目はさらに緊張感が高まりました
ここでも清水くんが緊張を吹き飛ばす131.5メートルのジャンプをしました。実はこれ、失敗ジャンプだったんです。踏み切りのタイミングが遅れたことで、スキー板がバラついてしまった。にもかかわらず、清水くんは空中で攻めの姿勢を失わず、技術ではなく気持ちで飛距離を伸ばしました。今回の五輪で、彼にとっては一番いいジャンプだったと思います。
続く竹内くんがこれに応えて、1本目の自分の失敗を取り返す130メートルのジャンプを披露しました。この時点で私はメダルを確信しました。伊東くんは空中での技術が世界一ですから、どんな風であっても対応できるだろうと。1本目に悪条件でも130メートルという結果を出していましたからね。ひょっとしたら順位を上げるのでは、という期待もありました。結果的にはそこまで届かなかったですけど、132メートルのジャンプは、最後を締める葛西さんにとっては大きかったと思います。精神的に余裕をもたらしてくれました。
メダルを獲得できた要因としては、1本目、2本目とも、理想的とも言える展開でバトンをつなげたことが大きいですね。1人がダメでも、誰かがその穴を埋める、という団体戦ならではの戦い方がハマりました。
――ジャンプの順番も含め、日本チームの狙い通りの展開になったということですか?
順番は世界ランキングの順位で決めたと思います。47位の清水くんから始まって、14位の竹内くん、13位の伊東くん、そして最後に3位の葛西さん、という順番です。しかも、それが同時に年齢順になっていたのも良かったですね。若い清水くんが大ジャンプでチームに勢いをもたらし、それを受けた先輩たちは「年下に負けていられない」と奮い立った。チームに競争心を植え付けたというか、相乗効果をもたらし、最終的にメダルにつながったと思います。
<了>
船木和喜
1975年4月27日、北海道生まれ。98年長野五輪に出場し、個人ラージヒル、団体ラージヒルで2つの金メダル、個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得した。世界選手権、スキーフライング世界選手権、スキージャンプ・ワールドカップなどでも数々のタイトルを獲得。低く鋭い踏み切りから繰り出されるジャンプフォームは「世界一美しい」と称された。現在も現役を続けながら、後進の指導にもあたっている。
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