高みを目指す大迫「もっと強くなれる」 強い向上心が生まれたドイツデビュー戦

元川悦子

心から待ちわびた移籍後初ゴール

移籍後初ゴールを決め、観客の声援に応える大迫 【Bongarts/Getty Images】

 鮮やかなブルーにライトアップされたミュンヘンのアリアンツ・アレナで、10日(現地時間)夜に行われたブンデスリーガ2部第20節・1860ミュンヘン対フォルトナ・デュッセルドルフ戦。後半戦のスタートということで注目された一戦は、スコアレスのまま60分が過ぎた。

 こう着した試合展開の中、冬の移籍市場で新たに加わった1860ミュンヘンの背番号9・大迫勇也がいきなり2万人超の観衆の度肝を抜く。右サイドのFKからの流れで、MFモリッツ・シュトッペルガンプが右足で放ったミドルシュートを相手GKファビアン・ギーファーがこぼしたところに鋭く反応。飛び出してくるGKを冷静にかわし、左足でゴールを奪ったのだ。
 心から待ちわびていた新天地での初ゴール。大迫はゴール裏まで一目散に駆け出し、Jリーグ時代には見せたことのないほど、喜びを体いっぱいに表現した。

「ユーヤ・オオサコ、ユーヤ・オオサコ」

 場内アナウンスとサポーターも頼もしい新戦力にしっかりと応える。まさに名刺代わりの一撃で、大迫は人々のハートをがっちりとつかんだようだ。

 この7分後に喫した不用意な失点で、1860ミュンヘンは貴重な勝ち点3を逃した。大迫自身も前半28分、前線でコンビを組むFWシュテファン・ハインのラストパスにファーから飛び込んだ決定機を決められず、悔しさをにじませた。「あれは決めきるチャンスだったし、決めきらないといけなかった。チームを勝たせることができたと思うし、そこは改善しないといけない」と、本人も自身のプレーに苦言を呈していた。
 それでもドイツ初戦で先制点を挙げ、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、ドイツメディアの注目を浴びるというのは決して悪くないスタートだ。ブンデスリーガの先輩・岡崎慎司も「デビュー戦でゴールするっていうのは、なかなかできるもんじゃない」と大迫の勝負強さに感心していた。
 2014年ブラジルワールドカップ(W杯)本番まで4カ月。ザックジャパンの1トップの座を虎視眈々(たんたん)と狙っている23歳の点取屋は、遠い異国で力強く確かな一歩をしっかりと踏み出した。

反骨心が生んだ急成長

 鹿児島城西高校時代にU−16日本代表候補入りし、3年の時に出場した第87回高校サッカー選手権では大会最多記録の10得点を挙げるなど、大迫は10代の頃から一目置かれた存在だった。09年に鹿島アントラーズ入りしてからも、ルーキーイヤーから22試合に出場して3得点を奪い、2年目にはエースナンバー9を譲り受け、順調に階段を駆け上がっていく。そして関塚隆監督率いるU−23日本代表でも攻撃の軸としてロンドン五輪アジア最終予選を戦い抜き、本大会出場に大きく貢献した。

 ところが、12年ロンドン五輪本大会メンバーからはまさかの落選。この出来事が負けず嫌いの男の闘争心を激しくあおった。12年はリーグ戦で9点と過去最高の数字をマーク。常勝軍団のエースに躍り出る。そして興梠慎三が浦和レッズへ移籍し、指揮官がジョルジーニョからトニーニョ・セレーゾに変わった13年は、シーズン19得点という目覚ましい数字を残した。
「鹿島でゴールを量産できたのは、トニーニョ・セレーゾ監督に1トップで使ってもらったのがすごく大きい。ゴールの近くでプレーしていれば自然とチャンスが増えるから」と大迫はブラジル人指揮官の起用法に感謝していた。小笠原満男らベテラン勢からの信頼も高まり、彼にボールが集まるようになったのも大きかった。

 こうした活躍が認められ、7月の東アジアカップ(韓国)で日本代表入り。オーストラリア戦で代表初ゴールを含む2得点を挙げ、非凡な得点センスをアピールした。その後は1学年上の柿谷曜一朗の後塵(こうじん)を拝する格好になったが、昨年11月のオランダ戦(ゲンク)で前半終了間際に起死回生の一撃を相手に浴びせたことで、彼の立場が激変する。代表1トップ生き残り争いにも自信と手ごたえをつかんだ違いない。
 勢いが出てきた大迫がよりいっそうの成長を求めないはずがない。もちろん鹿島に残っても、ダヴィらチームメートやハイレベルな対戦相手から得るものはあるだろうが、彼としては屈強なDFのそろう海外で自分を高めたいという思いが強かったのだろう。

 そこで浮上したのが1860ミュンヘンへの移籍話だった。かつてルディ・フェラーやトーマス・ヘスラーらドイツ代表で活躍したタレントを輩出した名門クラブだが、近年は財政難に陥っている。最近10年間をブンデス2部で過ごしているのも、こうした根本的な問題を抱えるせいだろう。ザックジャパンを担うかもしれない逸材が過酷な環境に身を投じることは、リスクも高かったが、彼はあえて挑戦する決断を下した。そんな勇気とチャレンジ精神が、ドイツデビュー戦での初ゴールという形で、早くも結果につながったのだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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