里谷多英、冬季女子初の金メダル!=プレーバック五輪 第3回

折山淑美

冬季五輪日本人女子初の金メダルを獲得した里谷多英、長野の空に笑顔がはじけた 【写真は共同】

 1998年2月7日に開幕した長野五輪。大会4日目のスピードスケート男子500メートルでは、前日の1回目に五輪新でトップに立っていた清水宏保が2回目もさらに五輪記録を更新する35秒59で滑って見事に金メダル獲得を果たした。その翌日の11日、注目されていたのは白馬でのジャンプノーマルヒル決勝だった。

 このシーズンのワールドカップでは4勝を挙げ、ノーマルヒルでは3勝を挙げていた原田雅彦。白馬に入ってからの公式練習も好調で、優勝は間違いないと期待されていたのだ。
 だが1回目に最長不倒の91.5メートルを飛んでトップに立っていた原田は、2回目に風が悪いために待たされて緊張が増し、84.5メートルで5位。優勝はヤニ・ソイニネン(フィンランド)で船木和喜が2位に食い込んだが、誰もが優勝を信じていた“日本ジャンプの顔”でもある原田の敗戦に、ガックリした空気が漂っていた。

 だが、そんな雰囲気を一気に吹き飛ばすニュースが飛び込んできた。白馬から離れた長野市の飯綱高原スキー場で行われていた女子モーグルで、里谷多英が冬季五輪日本人女子初の金メダルを獲得したからだ。
 フリースタイルスキーのモーグルは、92年アルベールビル五輪から正式採用された種目。前回のリレハンメル五輪では17歳の高校生だった里谷が出場して11位になっていたが、新興で注目度はまだ低かった種目。里谷は12歳で全日本選手権を制して“コブの天才少女”と称され、日本モーグルの先駆者的役割を果たしてきた選手だったが、大会前にはテレビCMにも登場した白馬高校3年の上村愛子の注目度の方が高かった。

 予選は無理をせずにスピードを抑えた滑りで11位と、決勝進出を確実に決めにいった里谷は、決勝ではリズムに乗ったスキー操作で攻めの滑りをし、持ち前のターン技術の高さを見せつけた。苦手なエアでも第2ではコザックを豪快に決め、自己最高の25.06点を獲得して強豪を打ち破った。その胸には小学校にあがる前から彼女にスキーを教えてくれ、「とにかく速く滑れ」と言い続けてくれた父親の遺影を潜ませていた。

 4年前のリレハンメルでは恩師にも「あいつはマスコミの前でもしゃべれないから……」と心配されていた里谷は、長野の金メダル獲得でモーグルの認知度を一気に上げた。その後の飲み会の場でも「コザック!」という言葉が飛び交うほどだった。
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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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