葛西紀明、親友が語る“レジェンド”の素顔

高野祐太

7度目の五輪に臨む葛西紀明。高校時代から現在まで、親友が語る数々のエピソード 【写真は共同】

 スキージャンプ界で“レジェンド(伝説)”と呼ばれる41歳が、五輪イヤーに輝きを増してきた。
 葛西紀明(土屋ホーム)。不惑を超えてなお肉体の鍛練を怠らない不屈の男だ。1月11日のワールドカップ(W杯)個人第13戦で、ついに最年長優勝記録を更新してしまった。表彰後に欧州の若い選手たちがこぞって葛西を祝福した様子は、この年齢まで世界のトップで現役を続ける彼がいかに尊敬されているかを示していた。
 1992年アルベールビル五輪に初出場して以来、実に7大会連続7回目となる五輪出場も決めて、「今回は五輪の方から俺の方に合わせてきた」と、充実感たっぷりに語った。葛西の努力を見ていた神様が“カミカゼ”を吹かせ始めているのかもしれない。

 葛西が五輪の金メダルに最も近付いたのは、94年リレハンメル五輪の団体だった。2回目の3人目までを終えた段階で日本はトップに立っていた。金メダルは目前にあったが、最後の原田雅彦(現雪印コーチ)の“世紀の失敗ジャンプ”で、メダルの色は銀に変わってしまった。以来、98年長野五輪で直前のケガのために金メダルに輝いた団体メンバーから外れる屈辱を味わうなど運が向くことはなく、長らく五輪での活躍がかなわずにいた。

 それでも葛西が競技から離れることはなかった。金メダルを求め続けてきた。この間20年以上。五輪で金メダルを取る! という強烈な思いを燃やし続ける姿には驚嘆するしかない。もはや執念を通り越したモチベーションのようにさえ見える。
 そこまで葛西を突き動かす原動力はどこにあるのだろう。そのヒントを東海大四高時代に3年間同じクラスだった友人の言葉からひも解いてみると、明るく前向きに競技と向き合う姿勢と、その陰に隠れて他人には見せない苦難との格闘が浮き彫りになる。

屈託のなさは高校時代から変わらず

 葛西は愉快な人だ。取材陣への対応も朗らかだし、練習の合間も明るく周囲と接している。そういう屈託のなさは高校時代から変わらないと言う。

「あいつはいたずら好きで、入学してすぐ僕にもいたずらしてきたのが仲良くなったきっかけでした。明るくていたずら好きで落ち着きのないタイプでした。だから、最初のうちは、すごいジャンプ選手というのはまったく分からなかった。彼は当時から日本のトップとして脚光を浴びていましたが、そう知ったのは他のスキー部員に聞いたから。優秀なスポーツ選手が集まるうちの高校でも、すごいヤツは普通はプライドが高くて、自慢げだったり、上から目線になったりするものですが、彼はぜんぜんそういうことがありませんでした」

 葛西は高校1年で早くも日本代表になり、W杯や世界選手権にも出場するほどの才能を発揮し始めていた。だが、そのことを周囲に吹聴するようなところがなかった。
「冬になると海外遠征で、ほとんど学校にいることはありませんでした。一度、大きい大会の前に全校生徒の前であいさつしたことがあって、やっぱりすごいんだなと思いましたが、鼻にかけたようなそぶりはみじんも見せなかった。当時は気づきませんでしたが、今になってみれば、そういうところが逆にすごいなと思いますね。
 別の部活だった僕は、身長が低くて、ケガをしてしまったこともあって、いじめられた時期があったのですが、そのことを気にかけてくれていました。優しいヤツです。海外に行くといつもお土産を買ってきてくれて、一度、ブランド物の腕時計を買ってきてくれたこともありました」

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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