富山第一・大塚監督の個性を生かす育成法 海外留学で学んだ指導者としての原点

平野貴也

選手の特徴をどう生かすか?

大塚監督はイングランドでコーチングライセンスを取得。海外の経験は指導者としての原点になっていると語ってくれた 【写真は共同】

――選手の個性が生きているのも富山第一の特徴でした。大活躍を見せた竹澤(昂樹)君は元々FWでしたが、なぜ左サイドバック(SB)にコンバートしたのですか?

 正直なところ、日本ではトップ下とか中盤をやるタイプばかりが多く育っていると思います。それなら、ほかの子とは違う竹澤の良さを出せるところがないかと考えて左SBにしました。テクニックはありますけど、中盤では普通レベルの良い選手でしかなかったと思います。やはり、良さが出るのは前を向いて仕掛けられる状態のときです。元々、左MFはやっていましたけど、中盤に置いても守備意識がなかったのでそれを身につけるという目的もありましたけどね(笑)。ほかに、現代サッカーでは最終ラインが攻撃の起点になることが多いので、DFラインにボール扱いのうまい選手を置きたいという狙いもありました。

――選手の個性で言えば、準決勝では「PK職人」(PK戦突入の直前にGKを交代し、PK戦で勝利)も話題になりました

 GKに関しては、準備してきたから使えたという部分がありますね。プレミアリーグではPK戦がありませんが、トーナメントに備えて夏に大学生との試合でPK戦をやりました。そこで3連勝していなければ、あの起用法はあり得なかったと思います。体が大きくて手足が長いという田子真太郎の特徴をどうやって生かすかを考えたとき、PKだろうと思いました。先発で起用した高橋(昂佑)は体が小さいですから、動ける範囲が狭まるPK戦では不利です。

 昨年度、同じように体格の小さいGKでPK戦を戦い、(初戦となる2回戦で)敗れたので工夫したわけです。今回は、メディアを利用させてもらった部分もありましたね。PK職人がいるなんて言われたら、相手は嫌ですからね。セットプレーの工夫もそうですけど、僕らは元々が弱いから、やることが姑息(こそく)なんですよ(笑)。

留学先でサッカーの楽しさを思い出す

――ところで、大塚監督はイングランド留学で指導者としての勉強を始めたという経歴をお持ちですが、指導理念の部分で受けた影響は大きいですか?

 そうですね。現役時代に古河電工で2年目に「選手としては無理。社員になるか、家に帰るかのどちらかにしてくれ」と言われ、サッカーはもう辞めようと考えました。そのときに、自分にはサッカー以外に何ができるだろうと思い、見聞を広めるために海外留学を考えました。水産家業の実家で5代目の若旦那になる予定でしたが、まだ家業を継ぐのは早いだろうという気持ちもあり、親父に「留学なんてダメ。そんな余裕があるわけない。早く家業を手伝え」と言われる中で、海外留学を実現する理由として考えたのがサッカーのコーチライセンス取得でした。だから、当初は米国にしようかと考えていた留学先が英国になったんです(笑)。イタリアとかブラジルでは言葉の問題がありますし、英語圏がいいだろうと思ったら自然と行き先が決まりました。古河電工サッカー部はウェストハムとの提携関係を持っていて、年に2人ずつ3カ月ほどの留学を行っていました。その伝手(つて)を頼ったわけです。

――行った先で見た風景で印象的だったのは?

 当時は、今のように欧州のサッカーをテレビで頻繁に見られる環境はありませんでした。それでもイタリアはカテナチオ(かんぬきの意味。堅守を象徴する言葉)だとか、イングランドは縦に蹴り込んで早く攻めるというような話だけは聞いていました。しかし、実際にウェンブリーでイングランド代表とイタリア代表の試合を見てみると、イングランドには前線にガリー・リネカーやジョン・バーンズといったテクニシャンがいました。イタリアにもドナドーニというドリブラーがいたり、ロベルト・バッジョというファンタジスタがいる。イメージとまったく違いました。「サッカー、楽しいじゃん!」というのが感想でした。

――留学先となったロンドンでは、どんな生活をしていたのですか?

 午前中は英語学校に3時間。昼からはアルバイトもしつつ、ウェストハムのユースチームでトニー・カーという監督からサッカーを教わりました。彼は30年くらいユースの監督をやっていて、イングランド代表のフランク・ランパードとかリオ・ファーディナンド、ジャーメイン・デフォー、マイケル・キャリックなどの恩師でもある。イングランドのレジェンドです。気さくな方で、僕のようなどこの馬の骨とも分からない人間にも優しく接してくれました。

 そして、夜7時からはコリンチャンス・カジュアルスという地元のアマチュアチームに混ぜてもらっていました。昔はFAカップで優勝したこともあって、ブラジルのコリンチャンスの元となったチームです。混ぜてもらったのは、60歳くらいの選手がいるベテランチーム。でも、彼らは高校生のチームを相手に9−0で勝ったんです。僕を走らせまくって(笑)。彼らと一緒にプレーをして「サッカーはいくつになっても楽しめるんだ」と感じましたし、25歳で「もうサッカーはいいや」と思っていた自分の気持ちが消えました。そして、日本で指導者になったら、サッカーをやめたいと思わされたり、実際にやめさせられてしまったりする選手がいなくなるようにしたいと思いました。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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