女子ジャンプの礎を築いてきた先駆者・山田いずみコーチ インタビュー
集大成の世界選手権で惨敗も、やり切った気持ちは強かった
09年の世界選手権を自身の集大成と考え、その後、五輪を目指さず現役を引退した 【築田純】
「それから毎年遠征に行くようになったけど、最高が4番で表彰台に上がれないのが何年も続きましたね。国内でも試合がドンドン増えていて、そこで結果を出した時には渡瀬弥太郎監督(元・全日本女子ジャンプ監督)からも『この調子でいけば表彰台に乗れるぞ』と何回も言われたけど、行ってみると毎回ダメで。今思えば、途中から夏も行くようになったけど、それまでは冬に1回しか行けなくて、しかも数試合に出て帰ってくるだけだったから。向こうで何試合もやっているヨーロッパの選手とは、経験の差があったのでしょうね」
事実、所属が神戸クリニックになった08年の夏には、コーチに招聘(しょうへい)したオーストリアのヤンコ・ツィッターの地元などに事前に行って合宿をしてから試合に臨むと、いきなり3位で表彰台に上がった。そして2度2位が続くと、4試合目には初優勝を果たした。そして10戦中8戦しか出られなかったにもかかわらず、サマーコンチネンタル杯総合3位になったのだ。
「当時はビッグイベントもなくて、コンチネンタル杯が最高峰の大会だから、そこでまず一度勝つことを目標にしていましたね。でも2年前くらいに09年世界選手権(チェコ・リベレツ)で女子が実施されることが決まったから、そこが自分の集大成だと思って走り続けていたので。(コンチネンタル杯での1勝は)その通過点の初勝利だったんですね」
だが集大成の世界選手権は、雨に見舞われる最悪の条件だった。そこで山田は力を発揮できず25位に止まった。終わった直後は悔しさで立ち直れないほどだったが、やり切った気持ちの方が強かった。その前のコンチネンタル杯はものすごく楽しくて、その満足感もあったからだ。
「その後、五輪の正式採用が決まった時には正直、『私の時にあったらな』という気持ちにもなりました。でも女子ジャンプを五輪種目にしなければという思いも強くなっていたので、決まった時は喜びの方が大きかったですね」
今の目標はコーチとして選手の育成をしていくこと
今は全日本女子のコーチとして、若い選手の育成や、女子ジャンプの啓蒙に力を注ぐ 【築田純】
女子ジャンプ黎明期のビッグゲームはすべて体験しているのだ。
「中学生の時のけがは半月板損傷だったけど、その後は転倒して打撲し、肝臓損傷になったこともありました。でもそういう時も次に飛ぶ時は怖かったけど、やめようという思いは出てこなかったですね。それよりもシーズン開幕に間に合うかな、ということだけでしたから。ジャンプを続けていた理由の一番は純粋に楽しいからということだったけど、自分が飛んで結果を出すことによって、サーカスだった女子ジャンプも新聞などで少しずつ技術的なことも書かれるようになったのもうれしかったですね。03〜04年頃からだったと思うけど、もっともっとそういう風に見られたいと思っていましたから」
W杯が始まり、五輪正式採用が決まってからは女子ジャンプの進化もますます加速してきた。高梨などは体型や筋力以外は男子にも負けないくらいの技術を持っているという。だが最も必要なのは底上げだ。高梨だけで終わるのではなく、その後に続く選手を育てていかなければいけない。そのためにも今いるトップ選手たちの結果が求められるというのだ。
「今、私はコーチとして勉強中です。技術的なところも追求していかなければいけないけど、今はそれよりも自分が経験してきたことを踏まえて、メンタル面のサポートをすることが求められていると思います。その点を重視してやっていきたいですね」
選手を卒業してコーチとして女子ジャンプに関わるようになった山田の役割は、選手の時以上に重要になっている。
書籍情報
【世界文化社】
折山淑美(著)
ソチ五輪近し! 高梨沙羅の活躍で注目される冬季五輪の華・スキージャンプ競技観戦ガイド。高梨沙羅ほか、男女注目選手の紹介、ジャンプ観戦ガイドが充実。
女子ジャンプでメダルが期待される高梨沙羅をはじめ、男子では葛西紀明、伊東大貴といった世界トップクラスのジャンパーに注目が集まるソチ五輪。 注目の日本選手の紹介と、ルール改正がたびたびなされるジャンプ競技の観戦&ルール解説を中心に、日本ジャンプ陣の栄光の歴史にも触れる。冬季五輪の華・スキージャンプ競技の観戦ガイド。