本田、新生ミランのカギを握る存在に。新指揮官セードルフの哲学の下で

神尾光臣

前監督アレグリと新監督セードルフの隔たり

ACミランの監督として初采配となったクラレンス・セードルフ 【Getty Images】

「僕がミランを出ることになった理由は、(マッシミリアーノ・)アレグリだ。彼とはフィーリングが合わなかった。僕をユベントス戦とかバルセロナ戦とか大事な試合に出したら、その後は4試合ぐらいベンチだ。おかげでみんなには僕のコンディションが悪いと思われたけど、そうじゃない。自分のような年齢の選手になると、コンディションを保つには試合に出なきゃダメなんだ。でもアレグリは、それを許さなかった。これは(アレッサンドロ・)ネスタや(パオロ・)マルディーニが引退に追い込まれたことにも当てはまるんだ」

 昨年11月、当時ボタフォゴでプレーしていたクラレンス・セードルフは、こんな内容をブラジルのテレビ局『SpotTV』のインタビューで暴露し、それがイタリアでも大きな話題となっていた。その後すぐに「アレグリとの私怨(しえん)を意味するものではないし、成功を祈っている」と釈明するコメントをイタリアのメディア向けに出したものの、ミランの黄金時代を知る彼が当時の指揮官の意向に賛同できなかったことは明らか。そしてそれは、アレグリが選手の経年劣化を過度に心配したということだけでなく、セードルフとサッカー観も共有できなかったという意味でもあったのだ。

 アレグリ監督が気にしたのは守備だった。カルロ・アンチェロッティ監督(現レアル・マドリー)指揮下の晩年は、スピードや運動量、あるいはプレスの激しさに勝るプレミア勢に押されるようになってきていた。2010年、同じ4−3−1−2を採用するアレグリがチームを引き継ぐと、彼は3ボランチを中心にメンバー選出の志向を変えた。線の細いアンドレア・ピルロ(現ユベントス)よりは、アンカーとして体の張れるマルク・ファン・ボメルを選択。そしてインサイドMFにはセードルフの技術よりも、ピッチを上下動できるアントニオ・ノチェリーノを取った。つまり中盤は、運動量とフィジカルを引き換えに、クオリティーを落とした。前線で何でもできるズラタン・イブラヒモビッチがいるうちはそれでチームも回ったが、彼がパリSGに売却されるとチームバランスは一気に崩壊。ミランは不振に陥った。

システムよりも重要な“哲学”

 昨季は3位まで巻き返したものの、そんなチームにベテランを中心とした選手や古参のファン、なによりシルビオ・ベルルスコーニ会長が不満をうっ積させていた。昨夏にもアレグリを切ろうとした彼は、1月12日の第19節サッスオロ戦の敗北を機に指揮官の解任と、セードルフの監督就任を決めた。傍目にはどたばたな経緯で決まったかのように見えるこの人事だが、セードルフは少なくとも、明確なコンセプトを持って臨んでいた。

「システムと言うよりも、重要なのは“哲学”だ。このチームにはクオリティーが高い選手が特に前線にそろっている。そこで攻撃にできるだけ人数を割き、自分たちが楽しみ、そして観客を楽しませるサッカーをさせていきたい。それが結局、勝利への近道となる」

 就任後初の指揮となる第20節ベローナ戦の前日会見でそう宣言したセードルフは、システムをいきなり大きく変えた。ボランチを1枚削り、その分を攻撃的MFの増加に回した4−2−3−1だ。自らも輝いていたアンチェロッティ時代とシステムは違うが、受動的に守備から入るのではなく、積極的にボールをつないで支配するという“哲学”は同様のようである。実際に一部が公開となった18日の練習では、前線の4人に加えて組み立て役のリカルド・モントリーボを加え、前線が流動的に入れ替わりながらのポゼッションを意識したメニューが組まれていた。

 そしてもう一つ肝心なのは、組み立ての中核となるトップ下にミラン加入から間もない本田圭佑を据えたことだ。カカとロビーニョ、そしてトップのマリオ・バロテッリも加え、メンツを考えれば破壊力は抜群。しかし、その代わりボールを失えばカウンターのリスクは以前よりも増すことになる。そのリスクを回避し、かつ継続した攻撃を演出する意味でも、ポゼッションの維持は極めて重要だった。いわば新戦術のキーを握る存在として、本田に期待がかかったのである。

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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