北嶋秀朗が歩んだ紆余曲折のサッカー人生 現役生活にピリオドを打ち、指導者の道へ

元川悦子

ユース上がりの選手から多くを学ぶ

柏、清水、熊本の3チームでプレー。指導者の道へ進むが、現役生活で得た経験を生かしたいと意気込む 【写真は共同】

――09年に再びJ2降格を強いられますが、北嶋選手自身の調子は悪くなかったですよね

 09年前半はまだいろいろなことがグレーで、グラウンド内に正解がいくつもあった感じでした。でもその夏にネルシーニョ監督が来てからは、「これが正解、これが不正解」というジャッジが明確になった。ゴールを取った者から使うという基準もハッキリしていたから、得点への意欲も高まりました。

――工藤壮人、田中順也という若いFWとの競争も刺激になったのでは?

 工藤なんかは本当に洗練されていた。自分は今にしてサッカーのプレーを言葉にできるけれど、彼らは18歳でそれができていた。話していて合致があるんです。それが面白くて、彼らとどんどんサッカーの話をしたくなった。工藤だけじゃなくて、(仙石)廉(ファジアーノ岡山)とか山崎(正登、元FC岐阜など)とかユース上がりの選手からたくさんのことを学ばせてもらった。レイソルユース上がりの選手はサッカー偏差値がものすごく高いです。

 ユース出身は高校よりメンタルが弱いとか言われるけれど、そうは思わない。確かに市船の理不尽さは半端なかったし、まだ水を飲むなという時代だったので、俺なんか水たまりの水を飲んでいました(苦笑)。でも、そういう経験をしていないユース出身が高校サッカー出身に球際で負けているわけでもないし、どちらの指導にもいいところがある。何か得るものはあるんじゃないかなと思っていますけどね。

――11年にはJ1優勝という悲願を達成します

 あのシーズンは自分がけん引したという感覚を持てました。チームをうまく引っ張れていたし、自分もゴールを取れていた。味方の選手とか周りからのリスペクトも含めて、すべてがうまくいったのがあの年ですね。

選手の一番近いところにいられる指導者へ

――J1制覇の半年後に熊本移籍というのは、多くの人々を驚かせたと思いますが

 あの時期のことはあまり思い出したくないので……。いろいろなことが複雑すぎて、なんと言ったらいいか分からないというのが正直なところです。ただ、僕は11年の冬に来季もレイソルでと決めた時点で『ここで引退する』という固い決意をしたんです。その中での移籍ですから、いろいろな事情があったのは事実ですが、それ以上のことは自分の心の内に秘めておきたいと思います。

 移籍先は熊本以外には考えられなかった。池谷さんがオファーをくれたわけですから。最優先の選択肢でした。

――最後にJ2で1年半プレーした意味は?

 J2は本当に厳しい環境でやっているし、すべてにおいてレイソルでやっていた時の感覚でいるとすれ違ったり戸惑うことが多かった。若い選手たちの消極的に見えてしまう雰囲気に苛立つこともありました。そういう意識を変えるにはとにかく練習をして自信をつけるしかない。その命題に取り組みたくて、熊本で指導者になろうと思ったのもあります。

――今まで経験したことをどう指導に生かしていきたいですか?

 最初はアシスタントなので、メンタル管理と個人的な技術の向上がメインになると思います。自分の経験を生かして、選手とたくさん話をして、足りないものを逆算して練習に付き合う、寄り添うようなスタンスでいたい。選手の一番近いところにいられる指導者になりたいです。

――目標とする指導者は?

 吉田達磨さんです。サッカーを言葉に落とし込むことができる人だから。同じことを違った言い方にするだけで選手が理解することはある。僕自身もそうでした。指導者がたくさんの言葉を持ち、違ったアプローチができるのは絶対に大事。それに達磨さんはモチベーションを上げるのもうまい。尊敬しますね。僕はこれから新しいステージへの第一歩を踏み出します。今は空っぽの箱ですが、まずは1回いろいろなものを詰め込まなくてはいけないし、それを整理するのにはまだまだ時間がかかる。まずはいろんなことを学ぶことから始めたいと思います。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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