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北嶋秀朗が歩んだ紆余曲折のサッカー人生
現役生活にピリオドを打ち、指導者の道へ
2013年限りでの引退を表明した北嶋が自身の現役生活を振り返った
2013年限りでの引退を表明した北嶋が自身の現役生活を振り返った【Getty Images】

 現在の聖地・国立競技場で行われた最後の高校サッカー選手権は、富山第一の劇的な初優勝で幕を閉じた。その選手権でかつてヒーローとなり、プロサッカー選手に転じてから17年間、一目散に走り続けてきた男がいる。北嶋秀朗・35歳。2013年限りで現役生活にピリオドを打った名ストライカーだ。


 柏レイソル、清水エスパルス、ロアッソ熊本でプレーした彼のキャリアはまさに紆余曲折の連続だった。99年Jリーグナビスコカップ優勝、00年の日本代表入り、11年のJリーグ制覇など栄光をつかむ傍らで、けがなどでどん底を味わうことも多かった。


 14年初頭、彼に壮絶だった17年間を改めて振り返ってもらう機会を得た。「今日がサッカー選手として受ける最後の取材です」と北嶋は静かに話を切り出した。

選手権で活躍したことが嫌だった

――市立船橋時代の94年度と96年度の選手権で2度優勝した北嶋選手は「シンデレラボーイ」と持てはやされ、鳴り物入りで97年に柏入りしました


 プロになってから、選手権で活躍したことが本当に嫌だったんです。周りからの「いつ点を取るの?」、「いつ試合に出るの?」という変なプレッシャーもあったし、自分がまだそのレベルに達していないことは自分自身が一番よく分かっていた。1年目はそのギャップに苦しみました。実際、ファンやマスコミがサーっと引いていくのを見て「ああ、これがプロなんだな」とも感じた(苦笑)。それも含めてプロの洗礼を受けた感じでした。活躍しないとこうなると18歳で分かったのはすごく大きかった。00年に活躍した後、調子を崩して、周りが引いていった時は免疫があって大丈夫でしたもんね(笑)。


――当時の自分を思い返してみると?


 能力が足りないと分かっているのに、それを受け入れられない自分がいて、未熟であるがゆえの幼い発言や振る舞いが多かったですね。練習に身が入らなかったり、ふて腐れたりしていることもあった。そうすることで「誰かに自分の存在を理解してほしい」という弱いメンタリティーがありました。


 そんな自分を見逃さなかったのが、当時コーチの池谷(友良、現熊本社長)さんでした。2年目の終わり頃、「お前は逆境になるとすぐ逃げるからもうダメだね。それも素質だし才能だから無理だよ」と突き放された。ショックだったし、自分に嫌気がさしました。

危機感と強い覚悟を持ってブラジルへ

――そこからどう自分を変えたのですか?


 ブラジルへ3カ月行きました。自分なりに何かをつかんで帰らないと本当に終わってしまうという危機感と強い覚悟を持って、現地に向かったんです。ブラジルは英語が全然通じなくて、それでも監督の言っていることを理解しなくてはいけなかったので、ポルトガル語をすごく勉強しましたよね。単語を1つひとつ書き出していたらすぐにノート1冊が埋まってしまいました(笑)。その時覚えた単語の数は膨大でした。


 タッサ・サンパウロという20歳以下の大会に出るのが目標だったので、練習や練習試合でアピールして、最終的に15分だけピッチに立つことができた。最後までふて腐れないでやれたし、すごく有意義な時間でしたね


――それが99〜00年の最初のブレイクにつながったんですね


 それは間違いないですね。まだ若かったので、何が変わったかを自分の中でハッキリ言葉で表現するには至らなかったけれど、心の中に落ちてきたものがあったと思います。


 最近では若手を伸ばすためにポジションを与えようという傾向が強いけれど、プロはすべてを自分で勝ち取るべきもの。若い選手が試合に出られない中、自分と向き合う時間ってすごく大事だし、決して無駄じゃないですから。


 僕自身もブラジルから戻った後、メンタルトレーニングや筋トレを取り入れたり、栄養士をつけて食事の取り方も見直したりした。その時のメンタルトレーニングは今も自分の考え方の基盤になっています。あらゆる面でストイックになったと思います。


――20歳前後で急激に体が大きくなり、前線で頑張れるようになりました


 自分でもちょっとつかんだんですよ。体幹と肩回りで相手を抑えるっていう当時のポストプレーのやり方を。高校時代からそのスタイルではやっていたけど、なかなかプロ仕様にならなかった。それができるようになったのがその時期ですね。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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