大塚監督「日本の育成も変わっていく」=富山第一監督会見

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全国高校サッカー選手権で初優勝した富山第一の大塚一朗監督 【共同】

 第92回全国高校サッカー選手権の決勝が13日、東京・国立競技場で行われ、北陸勢同士の対戦となった一戦は富山第一が延長戦の末に3−2で星稜(石川)を破り、初優勝を果たした。

 富山第一は後半41分まで0−2という展開から、残り時間で2得点を奪い延長戦に突入。延長戦も後半残りわずかな時間で勝ち越しゴールをあげた。試合後の会見で富山第一の大塚一朗監督は、ほとんど富山県出身の選手で優勝したことについて「日本の育成も変わってくるんじゃないか」と語り、自身の考える育成方法について述べている。

「ドラマチックに逆転勝ちしよう」

 こんな感動的なフィナーレがあるのかと思うくらい感動しました。感無量です。富山県民の後押しがあったのと、ほとんど富山出身の選手でここまでやれたのは、日本の育成も変わってくるんじゃないかなと思います。本当に今日はどうもありがとうございます。

――0−2でも交代枠を1つ残していた。(PK職人として起用していた)田子(真太郎)君のことも考えていたと思うが?

 0−2になったとき、ちょっとシステムを変えて、クリスマスツリーみたいな感じで頂点に大塚翔を置いて、足の速い渡辺(仁史朗)と高浪(奨)をシャドーに置いて、裏に飛び出すというので活路を見いだそうとしました。あと3ボランチのサイドが、細木(勇人)と最初は野沢(祐弥)でやっていた。そこに野沢に代えてシュート力のある村井(和樹)を置いて、その辺の関わりで得点を狙おうかなと。

 システムを変えて1点を取れたので、このまま行こうかなという風に思っていましたし、もう一人入れた時に細木と川縁大雅というのがすごく効いていたので、そこに新たに攻撃の一枚を入れるというより、そのままの枚数で攻撃を仕掛けた方がチームとして得策でではないかと思いました。もちろん、(PK戦に向けて)田子というのも頭にあったので、そういう考えで残り一枚を切らずにおきました。

――1年を通して細かいポジション修正やシステム変更を行ってきたことで、磨かれた対応力が発揮された部分はありましたか?

 試合運びとすれば、あまり褒められた試合運びではなかったと思います。プランとすれば、前から行ってショートカウンターで点を取って勢いのままにリードを広げて逃げ切るというもの。今大会はそういう戦いで勝利を収めてきたのが、ちょっとした甘さというか、センターバックのPKによって少しプランが狂ったと思います。

 ハーフタイムには絶対諦めるなと、それこそ2点差になっても必ず追いつけるはずだからと言いました。うちは今までに逆転勝ちがないから、神様はドラマチックな逆転勝ちをオレたちにプレゼントしてくれるだろうから、そのためにも気持ちを入れて、それを引き寄せようと。最後、ドラマチックに逆転勝ちをしようと送り出したのが、本当に現実になってビックリしています。

「人間性を育むには色んな人が関わることが大事」

――富山県出身の子を育てているということについて教えて下さい。地域全体のレベルアップも関係していると思うのですが、どのように見ていますか?

 僕はヨーロッパでライセンスを取ったというところで、欧州の事情は分かっているつもりです。欧州では親元から通うということをすごく大事にしています。サッカー選手というより一人の人間を育てようと。そのためにも、色んな人間が携わる方が人間として成長していくだろうと。チェルシーなどプレミアリーグでは、1時間以内で親元から通えないとクラブに入れないというルールがあります。うちの取り組みとしては、寮を作らない。自宅から通える選手でやっていこうということでやっています。人間性を育むには色んな人が関わることが大事。特に親が関わることが大事だと思っているからです。

 うちの(大会登録メンバーの)25人は23人が富山から。一人は竹澤(昂樹)が金沢駅から電車で通っています。西村(拓真)は名古屋出身ですが、僕が高校生の頃に彼の父親がチームメートでした。名古屋に転勤していて、ちょうど西村が高校生になる頃に転勤で帰って来て実家に父と祖母とで暮らしているという状況なので、ほぼ25人全員が富山県民というか、自宅から通っている選手です。対照的に、星稜さんにはほとんどが石川県の選手がいません。最後、富山県民が後押ししてくれたので、ちょっと違った雰囲気になったのがあるのかなと思っています。

――二男の翔君との親子鷹でやってきたが、良かったことや難しかったことは?

 翔が小さいとき、僕はシンガポールで監督をしていて単身赴任でした。その間に、妻と息子2人がロンドンに語学留学した際、翔はウエストハムの下部組織に1年入っていました。U−9のカテゴリーに入っていましたが、現地校に入れられて、英語が分からないのにフランス語の授業をやっていたり、廊下を歩いているといきなり跳び蹴りをされて「お前は忍者だから対決できるだろう」と言われたとか。そういうのも父である自分が分からずにかなり寂しい思いをさせてしまいました。そういう息子にしっかり関わってやりたいという気持ちも半分あって、富山第一のコーチを引き受けました。

 翔が1年生の時に富山県予選の決勝で交代で出ましたが、シュートをポストに当てて決められず、1−2で負けました。そのときにはインターネットの掲示板でかなりたたかれました。30ページくらいに及びそうな量で「親父がコーチだから試合に出ている」とか、「親父のコネで試合に出やがって」など、辛辣(しんらつ)な言葉で彼は傷つけられて可哀想な想いをさせてしまいました。申し訳ないなという思いがありました。

 ただ、以前から言っているかもしれませんが、うちは障害者サッカーの人たちと触れ合ったりしていますし、翔自身が友達と触れ合ったり、祖父母と触れ合ったりということなどで立ち直って、努力してきました。翔がPKを蹴る時は、それが報われて欲しいなと。あそこで外してまた掲示板に書かれるんじゃないかと思ったりして、そんな気持ちで祈っていました。

地域・地方でも結果を残せる

――初めての北信越勢対決の決勝になりました。どんな意義があると思いますか?

 僕はイギリスにいた時、イングランドでは(マイケル・)オーウェンがセンターオブエクセレントということで、バーミンガムに寄宿をさせて育てられたことが報じられました。その後の2〜3年で一カ所から優秀な選手を輩出するよりも、各クラブにノウハウを預けて、そこから良い選手をたくさん出そうという取り組みがありました。これは日本でもできるんじゃないかと思いました。

 僕が思うには、Jリーグにもそういう土壌があるんじゃないかと思います。通いで色んな人が関わってできれば、こうやって地域・地方でも、良い試合だったかどうかは分かりませんが、結果を残すことができるんじゃないかと。それでまた日本の育成が変わっていけばいいんじゃないかと思っています。今のJチームでは、地域の選手を育てないで、良い選手を獲って来て寄宿させて育てて、あまりいい選手が出ていないという現状があるとは思いますが、それをちょっと変えていけば効率的に良い選手が育つんじゃないかと思っています。

 今回は北信越対決と言われましたが、星稜は名古屋グランパスやジュビロ磐田、FC四日市、ガンバ大阪、セレッソ大阪のジュニアユースなど、ほとんど石川県の子がいないということで対照的なチームだと思っています。なぜ、竹澤が1時間半もかけて富山に来なければいけないかということを考えれば、もっと違う育成があるのではないかと思います。あれ(星稜のような方法)はあれで良いのかもしれませんし、どちらがいいのかは僕には答えが出せませんが、皆さんやサッカーに関わる人が考えていただければありがたいと感じます。

――いろいろな人が各選手を育てることに関わるというのは、具体的にどのような形があるのか?

 私は教師ではなくて監督なので、まず学校の先生方との関わりがあります。それに、先ほど言った障害者サッカーの方たちとの関わりがあります。年に1回、夏に色んな地域の障害者サッカーの人たちが富山に集まって、健常者と入り混じってサッカーを楽しむというイベントがあります。14年続いています。私たちはそのイベントに参加していまして、当初は球拾いとか、ボール出しのような手伝いでしたが、昨年からは一緒に試合に入って、松葉杖でGKをやっている人のところに本気でシュートを打ったりとかいうこともありました。本気で健常者の高校生のトップレベルの子が障害者と一緒にサッカーができるということで、障害者の方も喜んでくれますし、僕ら健常者がサッカーをできる喜びを教わることもあります。

 そうした取り組みをやっていることで、今回は横浜の障害者のサッカーの人たちからは応援や激励をいただきました。新潟からは毎日メールをいただきましたし、富山の障害者団体からはミサンガを選手全員に送っていただきました。そういう人と人との交流で、人間性が育成されていくのかなという風に思います。それが一部の例ですが、そういうことで人間性を育んでいきたいと思ってやっています。

<了>
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