改めて問う高校サッカー選手権の価値=ベスト4進出監督が語る「選手の成長」
一部で巻き起こる「選手権不要論」
京都橘らベスト4が出そろった高校選手権。4強の監督に選手権が持つ意義、価値について聞いてみたところ小屋松(右)ら選手の内面を劇的に成長させることにあるという 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
ユース年代のサッカーにおいて、もはや選手権が真の日本一を決める大会ではないことは、周知の事実だろう。この年代は、高校体育連盟(高体連)に所属する『高校の部活動』、Jリーグの下部組織である『Jユース』、そして日本クラブユース連盟に所属する『街クラブ』と、大きく分けると3種類のチームがある。選手権は高体連に所属するチームしか出られない大会であり、多くの優秀な才能たちを有するJユースは参加できない。故に前述したような事実になる。
これを受け、ちまたでは「選手権不要論」なるものも叫ばれている。確かに昔ほどスター選手やマンモスチームがいるような大会ではなくなった。しかし、だからと言って選手権そのものの価値や、意義を否定するような意見が出てくるのは、理解はできるものの、賛同はできないというのが筆者の意見である。
選手権は才能を一気に開花させる場所
例えば、中学時代にユースに上がれなかった選手も、高校でもう一度再生、再起できる場であり、その代表格として中村俊輔(横浜F・マリノス)、本田圭佑(ミラン)らが挙げられる。さらにJユースに進める選手でも、あえて高校サッカーを選ぶ兆候が、ここ数年増えてきている事実もある。理由は「メンタル面での成長を求めた」という声が大多数で、高校サッカーの3年間でメンタルを鍛え、プロに羽ばたいて行く選手は数多くいる。今大会で言えば、ロアッソ熊本への加入が内定している京都橘(京都)のGK永井建成が例に挙げられる。永井はガンバ大阪ユースへ進むこともできたが、京都橘を選んだ。
こうした機会を提供する場を『不必要』や『レベルの低下』と切り捨てるのは、いささか横暴に感じる。
現場の指導者たちが語る選手権の価値と意義
今大会、ベスト4に進出したチームは、京都橘、星稜(石川)、四日市中央工(三重)、富山第一(富山)となっている。星稜・河崎護監督、四中工・樋口士郎監督は言わずと知れた名将で、共に選手権の酸いも甘いも知り尽くした54歳のベテラン監督である。逆に京都橘・米澤一成監督は、39歳と若い新進気鋭の監督であり、富山第一・大塚一朗監督は、イングランドやシンガポールでの指導実績もあるインターナショナルな監督である。
今回はこの4氏に、改めて選手権の価値と意義について聞いてみた。
「個の力、戦術、フィジカル、メンタルと、すべての要素がそろわないと、この大会はなかなか勝てない。例えばワールドカップはグループリーグの後に決勝トーナメントがある。シビアなトーナメントをこの年代から経験することは、本当に大事なこと」(樋口監督)
「選手権は高校生にとって、3年間の集大成であり、憧れの存在。憧れがもたらすのは、大きなパワーで、そこに自分の将来の思いをはせている。例えば本田圭佑のような選手が出てきたら、ここが『プロへの登竜門』だと思うようになる。Jユースだと、ジュニアユースから6年計画のようになっているチームがある。そうなると何となく選手自身、自分の将来が見えてしまう。プロという目標がある中で、チームメイトに代表選手などがいると、『あいつのほうが評価が上』と、大人が思っている以上に、子供たちは敏感に感じている。ならば高校サッカーでレギュラーを取って、エースになって、評価を上げて、プロになろうと考える選手が増えてきたと思う。これは本田の考えそのものですよね」(河崎監督)
「選手にとっては夢の舞台。選手権があるからこそ、Jユースに上がれる子も高体連に来る。リーグ戦はお互い良い部分を出し合いながら戦えるのがいいところ。その中で毎週修正していくやり方も大事。でも、トーナメントでは良い部分を消されてしまう。だからこそ、もっと相手との駆け引きが出てくる。どっちも大事。ハードな日程になることは分かっていますが、1年通じたリーグ戦があって、最後に選手権があるのは、その年度の集大成を選手権に持っていける。リーグ戦は負けても次がある中で、最後は選手権で今まで積み上げたものを、負けたら終わりの環境でぶつけられる。そこに選手も監督も今まで学習したあらゆるものを出そうとするから、成長につながる」(米澤監督)