岡崎朋美が小平奈緒に渡した“バトン”=受け継がれていくエースの魂
現役引退を示唆「もうお腹いっぱい」
引退を示唆した岡崎は、これまで支えてくれた長女・杏珠ちゃんに感謝した 【写真は共同】
1994年のリレハンメルから2010年のバンクーバーまで5大会連続の五輪出場。98年の長野五輪では500メートルで銅メダルを獲得した。年齢を重ねても体力の衰えを感じさせず、38歳でバンクーバー五輪の出場権を勝ち取っている。07年に結婚、10年には出産を経験し、42歳で迎えた今大会にソチ五輪出場を懸けていた。
しかし、今回ばかりは届かなかった。1回目が39.55秒、2回目が39.60秒と、両方とも派遣標準記録(39秒50)を破れず。総合6位に終わり、ソチへの道が閉ざされた。
それでも岡崎の表情は明るかった。
「ちょっと今日は後半の伸びがいまいちでしたが、まあまあ満足いく滑りだったかなと。おばちゃんの涙は汚いと言われたので、笑顔で終わろうと思っていました(笑)。長年スピードスケートをやってきてすごくスケートには感謝しているし、私のやるべきことはやり終えたのかなといまは思っています」
競技終了後は、笑顔で手を振りながらリンクを1周した。観客席で応援していた3歳の長女・杏珠(あんじゅ)ちゃんを抱きかかえ、これまで支えてくれた家族に感謝の気持ちを表した。
「母親と一緒にいたい気持ちもあっただろうけど、泣き叫ぶわけではなく、理由もなく泣く子でもないので、これからはこの子を支えていきたい気持ちでいっぱいです。『頑張ったよ』と娘が言ってくれたらうれしいですね」
「岡崎さんと滑れて幸せだった」
日本のエースは岡崎から小平へと引き継がれた。小平は岡崎の思いとともにソチへと向かう 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
小学校5年生の時に地元・長野県で開催された五輪をテレビで見た。そこには銅メダルを獲得する岡崎の姿があった。この時から五輪でメダルを取ることが小平の目標となった。それはバンクーバー五輪でかなうことになる。個人戦こそ500メートルは12位、1000メートルと1500メートルで5位と表彰台には届かなかったが、女子団体パシュートで日本女子スピードスケート界で初となる銀メダルに輝いたのだ。
ソチ五輪で狙うのは当然、個人でのメダル獲得。「バンクーバーでは12位でした。岡崎さんも初出場のリレハンメルは14位でしたけど、2回目の長野で銅メダルを取った。私もできれば岡崎さんを超えたい」と決意を語った。
岡崎はそんな後輩を頼もしく感じている。
「奈緒は本当に頑張り屋さんなので、掛ける言葉なんてないです。本当はソチに行って近くで応援したかったんですけど、それはかなわなかったので、陰ながらプッシュします。彼女ならやってくれると思います」
小平も、岡崎に対して感謝の気持ちを述べた。「岡崎さんがいなかったら、自分もここまでにはなっていないです。一緒に滑ることができて幸せでした」。憧れの存在だった大先輩から受け取った“バトン”を胸に、小平はソチに向かう。
<了>
(文・大橋護良/スポーツナビ)
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