安藤美姫と織田信成が進む新たな道=五輪の夢破れ、現役引退を発表

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引退表明した織田(左手前)。スピーチ後、高橋としっかり抱き合った 【写真は共同】

 4年に一度の特別な戦い。史上最も過酷な国内戦。12月21日から23日まで行われたフィギュアスケートの全日本選手権は、そうした触れ込みに恥じない大激闘となった。来年2月に開催されるソチ五輪への出場権を獲得したのは、羽生結弦(ANA)、町田樹(関西大)、高橋大輔(関西大大学院)、鈴木明子(邦和スポーツランド)、浅田真央、村上佳菜子(ともに中京大)の6選手。世界大会での実績もあり、複数のメダル獲得も十分に期待できる顔ぶれと言えそうだ。

 その一方で、夢破れ、表舞台から去る決断をした選手もいる。安藤美姫(新横浜プリンスクラブ)と織田信成(関西大大学院)。長年にわたり、フィギュア界をけん引してきた功労者たちは、この全日本選手権を最後に現役引退することを発表した。

チャレンジ精神は失わなかった

SPの演技後、コーチと抱き合う安藤 【写真は共同】

 2006年のトリノ五輪と10年のバンクーバー五輪に出場し、07年と11年には世界選手権を制した安藤は今季、2年間にも及ぶ長期の休養から復帰。今年の4月には出産も経験し、母としてソチ五輪への出場を目指した。強化指定選手から外れており、全日本選手権に出場するためには予選を戦う必要があったものの、10月の関東選手権、11月の東日本選手権を勝ち抜いてきた。

 しかし、長期休養と出産の影響は計り知れなかった。筋力とスタミナの衰えは著しく、思うようなジャンプが跳べない。ショートプログラム(SP)とフリースケーティング(FS)で2つ良い演技をそろえることができなくなっていた。東日本選手権ではSPで41.97点と13位に沈み、全日本選手権への出場すら遠のきかけた。FSで巻き返し、なんとか出場権は勝ちとったものの、「日本で戦う最後の試合になるかもしれない」と覚悟を決めて臨んでいたという。

 それでもチャレンジ精神は失わなかった。東日本選手権では「(当時の状態では)10回跳んでも1回成功するかしないか」というトリプルルッツをFSに組み込んだ。確実に点数を取るために回避する選択肢はあったが、「簡単な道を選んではいけないし、他の選手と向き合う姿勢を持って出場しているので、自分が決めたことに弱気なままで逃げたくなかった」と、リスクを冒して挑戦に踏み切った。

引退後は指導者へ「1人でも多く五輪に」

フリーの演技後、観客へ向かって一礼する安藤 【写真は共同】

 全日本選手権もあくまで自分の意志を貫いた。SP5位で迎えたFSでは、難易度の高いトリプルサルコウ+トリプルループに挑戦することを決意。失敗に終わったが、「ジャンプの安藤美姫」と呼ばれていたころの誇りを最後まで持ち続けた。

「調子も上がってきていて、大きなミスもなく滑り切る余裕もあったので、そのままの内容できれいに滑り終えようかなと思っていました。でもSPが終わって、今季初めに『五輪に出場したければ全日本で優勝しかない』と言われていたので、その言葉を思い出したときに、最後は自分らしく終わりたいと思ったんです」

 振り返れば、18歳で出場したトリノ五輪でも本来の状態ではないなか、4回転サルコウに挑戦した。自分の意志に素直に従ったときは常に難しいほうを選択してしまう。総合7位に終わり、五輪出場は逃したが、安藤は“らしさ”を貫き通してリンクを降りた。

「2年前に選手としてはやり切ったかなと思っていたんですけど、いろいろな方からお手紙をいただいたり、いろいろな方にサポートしていただきました。選手としてまた戻ってくるという選択肢に導いてくれたことにすごく感謝しています。またこのような全日本という素晴らしい場に立つことができて、最終グループで滑ることもできたので、今日という日が選手生活で一番幸せでした」

 涙で目を赤くしながら競技生活に別れを告げることを発表した安藤。引退後は、アイスショーなどで滑りながら、指導者の道を目指すという。「9歳のときに初めてスケート靴を履いて、門奈(裕子)コーチに習い始めてから『自分もこんな先生みたいになりたい』と思ったんです。五輪は本当に特別な場所。自分の経験を語りながら、1人でも多くの人を五輪に連れていってあげたいなと思います」。世界女王にも輝いた天才が、今度はコーチとしてリンクに帰ってくる。

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