高校サッカー選手権、予選で敗れた実力者=プロの舞台で活躍を誓うJ内定選手たち

安藤隆人

鹿島に加入する杉本(右)ら予選で敗れたJ内定選手たち。選手権でも活躍が期待されていた注目選手を紹介したい 【安藤隆人】

 いよいよ30日に開幕を迎える第92回全国高校サッカー選手権大会。全国の予選を勝ち抜いた48チームによる熱き戦いが繰り広げられるが、残念ながらこの大会にたどり着けぬまま、敗れ去ったチームが数多くある。

 しかも、今大会は例年以上に波乱が起こり、全国各地で実力派ぞろいの強豪チームが予選で敗れ去った。本来ならば、今大会の『優勝候補』や『顔』となるはずだった選手たち。ここでは選手権開幕を前に、敗れ去りしヒーローたちを紹介していこう。

 波乱と言う言葉に飲み込まれた数々のチーム。代表格を挙げるとすれば、前橋育英(群馬)、正智深谷(埼玉)、中京大中京(愛知)、帝京大可児(岐阜)、作陽(岡山)、大津(熊本)だろう。この中でも帝京大可児のFW杉本太郎(鹿島アントラーズ加入内定)、中京大中京のFW宮市剛(湘南ベルマーレ加入内定)、正智深谷のFWオナイウ阿道(ジェフユナイテッド千葉加入内定)、作陽のFW平岡翼(FC東京加入内定)は、ぜひ本大会で見たかったタレントだった。

悔いを残して終わった杉本

 杉本は2012年、アジアサッカー連盟(AFC)U−16選手権(イラン)でMVPに輝き、13年はUAEで開催されたU−17ワールドカップ(W杯)に出場、1ゴールを挙げるなど、日本代表のベスト16進出に貢献。鹿島への加入も決まっており、注目を集める存在だった。しかし、チームは選手権予選の準決勝で、優勝した岐阜工に1−2で敗れた。帝京大可児は8月のインターハイでは全国ベスト8に入っており、県内では敵なしの状態に思われた。だが、「いきなり2点取られて、挽回できなかった」と杉本本人が語るように、前半の早い段階で奪われた2点が重くのしかかり、後半に猛攻を見せるも、杉本が放ったシュートがポストに当たるなど、あと1歩届かなかった。

「負けた直後はもう頭の中が真っ白で、本当に何も考えられなかった……。今年は絶対に出ないといけなかったし、本当に出たかった」(杉本)

 彼には苦い思い出がある。1年生の時にはU−15日本代表に選ばれていたものの、帝京大可児が2年前に選手権に出場した際にはベンチにも入れず。チームメイトの戦う姿をスタンドでメガホンを持ちながら見つめた。2年時にはピッチに立つも、2回戦でその年に優勝した鵬翔(宮崎)にPK負け。この悔しい思いを晴らすために、自身最後の選手権はどうしても立ちたい舞台だった。だが、自らも不発に終わって終戦。試合後に杉本はこう語っている。

「僕はいつも最後は悔いを残して終わる。満足して終わった大会は一つもない。だからこそ、この悔しさはプロで晴らしたい」

 MVPを取ったAFC・U−16選手権。授賞式を終えた彼と会ったが、笑顔が無かった。トロフィーを持って記念撮影には応じてくれたものの、そこでも笑顔はなかった。決勝でウズベキスタンに敗れたショックもあるが、それ以上に決勝で決定的な仕事ができなかった自分がMVPをもらってもいいのかという困惑と疑問が、彼の笑顔を奪っていた。
 U−17W杯でも、敗れたラウンド16のスウェーデン戦で、日本のラストチャンスと言える決定的なシーンを迎えたが、彼の放ったシュートは枠を逸れた。試合後、目に涙をためて、「あれを決めていれば……すみません」と、力なくつぶやいた。

 一見華やかに見えるが、悔いだらけの3年間。この悔しさは本人が語るように、プロの場でぶつけるしかない。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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