高校サッカー選手権、予選で敗れた実力者=プロの舞台で活躍を誓うJ内定選手たち

安藤隆人

『宮市亮の弟』というプレッシャーとの戦い

湘南に内定した宮市剛。『宮市亮の弟』というプレッシャーを感じ続けた高校の3年間は、彼に『強さ』を与えた 【写真は共同】

 宮市もまた、一見華やかに見えるが、悔いだらけの3年間を送った。入学当初から『宮市亮(アーセナル)の弟』として、ある種異様な注目を集めてきた。拍車をかけたのが、1年生のときに出場した選手権、チームは快進撃を続けベスト8に進出。準々決勝ではその年に準優勝した四日市中央工(三重)にPK戦の末敗戦。彼はこの試合で、1ゴールを記録するも、PKを外して文字通り『悲劇のヒーロー』となった。そこからずっと、彼には『宮市亮の弟』という枕詞がついて回った。

「最初は嫌でしたよ。でも……もう慣れるしかないですよね。気にしないようにしています」。こう話していたのが2年生の春。その年、チームはインターハイも選手権も出場を逃し、全国の舞台には立てずにいた。そして迎えた2013年。インターハイでベスト16に進出し、自身はU−18日本代表に定着、湘南への加入が内定した。プロ入りが決まったことで、彼の中での意識が大きく変わり、成長した姿を見せた。

「もうプロになったら『宮市亮の弟』ではなく、(宮市亮が)『宮市剛の兄』と言われるようにしたい」

 そして迎えた最後の選手権予選。チームは決勝で東海学園(愛知)の前に0−2で敗戦。この試合、彼は相手の徹底したマークに苦しみ、はっきり言って何もできずに終わった。試合後、彼は泣いてはいなかったが、集まって解散式が終わった後、筆者に近づいてきて、こう口を開いた。「すみませんでした……」

 この一言で、彼の抱えていた重圧が計り知れた。この3年間、彼はほかの選手と違うプレッシャーを感じながら戦っていた。最後がこういう形だっただけに、余計に感じてしまったのかもしれない。

「今日ははっきり言ってよくなかった。でも3年間で見せた成長は素晴らしかった。この悔しさはプロで晴らそう」と声を掛けると、「はい」と返事をして歩き出す。そして、泣いてなかったはずの彼はそっと涙をぬぐった。おそらく、悔し涙をずっと我慢していたのだろう。

 プレッシャーを感じ続けた3年間は、宮市に『強さ』を与えた。それを次のステージでぶつけるのみ。彼のこれからの飛躍に大きく期待をしたい。

大事なところで点が取れなかったオナイウ

 オナイウはこの1年間で非常に成長した選手だ。2年時に臨んだ選手権ではまだまだ粗削りだったが、今年に入ると、ゲーム中の存在感が一気に増した。パワフルなシュートだけでなく、広い視野と冷静な判断力から繰り出されるラストパス、ワンタッチプレーは、非常に精度が高くなった。

 それが形となったのが8月のインターハイ。複数のマークに合っても、しっかりと前線でボールを収め、テンポよくボールを配給。時には自ら仕掛けてゴールを射抜くスタイルで圧巻のプレーを見せた。オナイウ率いる正智深谷は、快進撃を続けベスト4に進出。準決勝でも、優勝した市立船橋(千葉)を相手に熱戦を演じ、最後はPK戦で敗れている。

「パスという面では自信がついたが、まだまだ大事なところで点が取れない。大事なところで点が取れる選手になりたい」と、さらなる成長を誓い、挑んだ最後の選手権予選。正智深谷は、優勝候補と目されながら、決勝で伏兵・市立浦和(埼玉)に0−1の敗戦。この試合でオナイウは沈黙、活躍を見せることはできなかった。だが、今年の成長が終わりではなく、オナイウにはまだまだ成長が見込める大きなポテンシャルがある。ぜひ千葉でその才能を開花させ、目標とする「大事なところで点が取れる選手」になってほしい。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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