五輪逃したカーリング男子、その敗因

高野祐太

長野以来、最も五輪に近づいているはずだったが……

長野以来最も五輪に近いと言われていたカーリング男子だったが……その敗因はどこに? 【原田亮太】

 日本を発つ前の会見では「長野五輪以降、日本の男子が最も五輪に近付いている」との自負を語っていた。“日本カーリング界に男子あり”を示す気概で臨み、日本男子代表として1998年長野大会以来となるソチ五輪に行くことだけにまい進していた。だから、その目標に届かなかった悔しさはいかばかりだろうか。

 日本男子代表として世界最終予選(ドイツ・フュッセン、12月10日〜15日)に臨んだSC軽井沢だったが、全8カ国で戦った予選で1勝しかできず、まさかの最下位で終戦。スキップの両角友佑らメンバーは「現段階の実力ではここまでということ」と負けを認めるしかなかった。

 9月の日本代表決定戦での国内ナンバー1の強さや、11月のパシフィック・アジア選手権で2位に入った勢いを見る限り、ここまで勝ち星に見放されることは想定しにくかった。出足のつまずきを最後まで立て直せなかった。これも刻々と微妙に変化するアイスに翻弄(ほんろう)されながら進行するカーリングというスポーツの怖さだろう。ほんのわずかなショットのずれが積み重なり、悪い流れに落ち込んで行ってしまった。そういうツキのなさはあった。

攻撃的なスタイルの方向性は間違っていない

パワーと攻撃的なスタイルは世界の潮流と同じ方向を向いている(写真はスキップの両角友佑) 【原田亮太】

 SC軽井沢の持ち前の攻撃的なスタイルは、世界の潮流を見据えるという意味で野心的な方向を向いている。パワフルなショットは形勢を一気に引き戻すテイクショットのほか、遠い位置から玉突きさせるような高難度のショットのためにも必要だし、誤差何センチのここに置きたいというドローショットを決めるためにもパワーの幅があることは精度を増してくれる。現代カーリングでは、アスリートたるフィジカルを背景にしたプレーがより求められるようになっているのだ。

 北海道の高校でラガーマンだったサードの山口剛史は、カーラーとしての自分を生かせる場を探し求めて青森、軽井沢と渡り歩いていたころからフィジカルの重要性にいち早く気づき、厳しいトレーニングにいそしんでいた。両角友は「攻撃スタイルこそ世界で戦うための僕らのスタイル」と言わんばかりに、いつも瞳を輝かせている。
 その流儀は、日本のカーリング界に及ぼす影響という点でも重要な役割を果たしている。例えば、SC軽井沢と同じく長岡はと美氏をコーチとする女子の前女王・中部電力は、男子並みの“マンリー・カーリング”を標榜し、パワーと攻撃的戦術の必要性に目を向けている。

 SC軽井沢は今季、チームコミュニケーションの向上もレベルアップの要因となっている。長岡コーチの夫で、日本カーリング協会の強化委員である長岡秀秋氏が言う。
「メンバーの間でストラテジー(戦略)の一致感がだいぶ高まっている。まだ100%ではないが。あと、インタビューの受け答えなんかを聞いていると、自分で何が悪かったかを(的確に)把握するようになった」
 パシフィック・アジア選手権で環太平洋地区2位の座を獲得することができたのは、そんな成長によるところが大きかった。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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