「若い仲間を絶対ソチへ」 カーリング女子、決意で掴んだ五輪切符

高野祐太

掴んだ最後の五輪切符「もう信じられません」

ベテランの強い意思と若手の成長。カーリング女子が、最後の五輪切符をつかんだ。写真は最終戦後の小笠原歩 【原田亮太】

 何という勝負強さ! カーリングのソチ五輪世界最終予選(ドイツ・フュッセン)を日本女子代表として戦っていた北海道銀行フォルティウスが最後の1枚のソチ行き切符をつかんだ。
 日本女子として5大会連続5回目の五輪。予選をバンクーバー五輪銅メダルの中国以外に負けずに5勝1敗で勝ち上がった北海道銀行は、五輪代表決定戦(プレーオフ)の初戦で中国に再び敗れたものの、ラストチャンスのノルウェー戦に10−4で快勝した。
 スキップの小笠原(旧姓・小野寺)歩は「もう信じられません。本当にオリンピックに行くんだって。本当に行くんですかね?」と安どの表情で、サードの船山(旧姓・林)弓枝らチームメートと喜びを分かち合った。
 小笠原と船山にとっては、2002年ソルトレーク、06年トリノに続く3回目、リードの苫米地(とまべち)美智子、セカンドの小野寺佳歩、リザーブの吉田知那美にとっては初めての五輪となった。

 テレビの解説をした長野五輪男子代表の敦賀信人さんは、この人らしい心遣いで深夜まで手作りしたくす玉を渡して祝福。「(ソチを決めて)割ってもらえて良かった」と喜んだ。また、同じくテレビ解説を担当し、ソルトレーク五輪では当時の小野寺歩、林弓枝とチームメートだった元チーム青森の石崎琴美さんは、ソチ五輪が濃厚になってくると、早くも涙を浮かべていた。
 振り返れば、今回の世界最終予選への出場権はこれまで日本代表として世界選手権を戦ってきた中部電力が獲得したものであり、9月の日本代表決定戦では、マリリンこと本橋麻里率いるLS北見なども惜しい戦いをしていたのであり、そんなことを合わせると、日本のカーリング界の総力が結集してつかんだ切符だったと言える。

小笠原ら先輩たちの決意 呼応した22歳の急成長

小笠原とともにチームをけん引した船山 【原田亮太】

 それだけに日本代表を担うことの責任は肩に食い込むような重さだったのだろう。小笠原がトリノ五輪を終えていったん身を引いてから8年近く。チーム結成3年目でここまでやってきた。冒頭の「本当にオリンピックに行くんですかね」という言葉からは、代表となった9月以降の目まぐるしい変化に対する戸惑いの感情も含まれていたかもしれない。
 今大会の戦いぶりを見るにつけ、五輪2大会を戦い、“カーリング娘”として人気者になった激動を当事者として体験した小笠原と船山こそが、カーリング日本代表というものの意味を一番深く理解しているのだろうと思えてくる。戦前に小笠原は「日本代表として何が何でもソチ五輪に行く」「若い仲間を絶対にソチに連れて行く」と自分に言い聞かせるように、繰り返しメディアの前で決意を語っていた。

 それに呼応するように、22歳の小野寺は急成長を遂げた。要所でチームを助けるショットを見せたし、大先輩を励ますような頼もしい言葉も口にした。この半年で身に付けた自信がほとばしるような輝く笑顔。代表となって以降、一番のチームの変化がこれではないか。22歳の若者には無限の可能性が眠っている。そう思わせてくれる印象的な笑顔である。
 苫米地は五輪を夢見て、地元の岩手に夫を残して単身、札幌にやってきた。熱意の33歳だ。ミックスダブルス世界選手権7位の実力者が、リードとしてきっちりゲームメークした。
 小野寺の盟友である吉田はリザーブに回り、陰でチームを支えた。チームに加入以降、なかなか課題を克服できない時期があり、涙することもあったが、そんな苦労は必ずや報われる。吉田の頑張りがチームにもたらしたエネルギーは目には見えにくくても小さくなかったに違いない。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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