天国の“おとう”が見守るソチ五輪=バイアスロン女子・鈴木芙由子

高野祐太

“マタギ”の孫娘、2度目の五輪へ

バイアスロン代表・鈴木芙由子の、成長、つまづき、新たな気付き。2度目の五輪は、もうすぐだ 【写真:築田純/アフロスポーツ】

 静と動が同居する難しさと面白さ――。クロスカントリースキーの滑走力と、正確な射撃の腕が試されるバイアスロン。夏季競技のライフル射撃では安静状態の心臓の鼓動さえが精度の妨げになるというが、バイアスロンはそれにも増して、長距離のクロスカントリースキーを滑走する合間の激しい動悸(どうき)の中で射撃を行わなければならない。祖父が秋田県地方で伝統的に狩猟を営むマタギだったというクロカン選手の少女は、期せずしてこの競技と出合い、競技歴わずか3年目の21歳で2010年バンクーバー五輪に出場を果たしてしまう。

 あれから4年近くが経ち、来年1月で25歳となる鈴木芙由子(陸上自衛隊冬季戦技教育隊=冬戦教)が、五輪出場切符を再び勝ち取った。今度は日本女子の絶対エースとして。

 12月14日に日本バイアスロン連盟が来年2月開催のソチ五輪代表を発表した。正式にはJOCの承認を経て18日に決定する(編注:20日発表に後日変更)。ほかに選出されたのは、女子が小林美貴、鈴木李奈、中島由貴で、男子は井佐英徳(いずれも冬戦教)。女子は前回の1枠から4枠に広がっており、それは12年世界選手権での鈴木芙由子の活躍によるところが大きい。エースにふさわしい働きは、4人によるリレー種目にも出場が可能になったという意味でも大きかった。

クロカンからの転向 光ったセンス

 クロスカントリースキー選手だった鈴木は中学3年のとき全国中学の3キロフリーで3位となり、高校総体にも3年連続出場したが上位進出はならなかった。スキーを前後に滑らせるクラシカル種目が苦手なことが課題だった。バイアスロンを始めたのは、高卒後もスキーを続けたいと思っていた矢先に冬戦教から「バイアスロンならフリー走法しかないよ」と勧誘されたからだと言う。「クラシカルがないならいいな(笑)」という単純な動機があった。射撃をしなければならないことについては「何とかなるだろう」と思っていた。
 その楽観的かつ直感的な選択は見事に的中する。「4年くらいを掛けて強くしよう」(竹田和正コーチ)という強化策が前倒される形で、バンクーバーシーズンのワールドカップ開幕戦の女子15キロインディビデュアルで19位と躍進。競技を始めて3年目で1つしかなかったバンクーバー五輪切符を獲得する躍進だった。結果は7.5キロスプリントの44位が最高と、世界の壁に跳ね返されたが、五輪に出られたこと自体に大きな価値があったのであり、そこでは祖父譲りのセンスが作用したのかもしれない。「言葉にはできないんですけど、当たるときは当たるって分かるし、外れるときもそうと分かってしまう」と、その感覚の鋭さを語っている。

 鈴木が持ち前のセンスを磨き、真のバイアスロンアスリートとして成長を遂げるのは、この後だ。まず、バンクーバー五輪の次の次の11−12年シーズンの世界選手権(ドイツ)。15キロインディビデュアルで自己最高の18位になるなど各種目で躍進し、上位30人しか出られない12.5キロマススタートも戦って21位に入った。人気があって環境も整っている欧州勢の層の厚さを考えれば上出来の成績だった。何らかのきっかけを得たに違いない。鈴木が言う。

「あの時に初めて、こうしたらいい、ああしたらいいと自己分析ができるようになって来たと実感できたんです。それまでは、まだ自分のことすらどこが足りないのかたくさんあり過ぎて分からなくて。あの大会でマススタートに出られたことで自信が生まれて、可能性が開けた気がしました」

ぐんぐん成長――はまった落とし穴

 ところが、その次の昨シーズンは思うように成績を伸ばすことができなかった。「昨年は昨年なりに自分で成長できたなと思っていて、今までより良い結果が出せると思って意気込んでシーズンに入った」だけに、思わぬ落とし穴にはまってしまった状況だった。

 原因は気負いだった。気持ちの問題が災いした。「結局は、意気込みが自分へのプレッシャーになってしまって、射撃にも悪く影響したり、走りもバテてしまうことが怖くて最初から突っ込めなかったりしてしまった。射撃がすべて的中すれば(ペナルティーがなければ)何位になれるというふうに想像できる位置にだんだんなって来たという自分への期待と、頑張りたいし当てたいという気持ちが先に大きくなってしまって。でも本当にできるの? という不安で、力んで固まって怖くなってしまって、それですごく失敗して。去年はメンタルでボロボロでした」

 意気込みが裏目に出るという経験を経て、鈴木は「今年は昨年よりも成長できている自信はあるが、あまり結果を追わず、気負わずにやっていく。結果だけ考えるのではなくて自分を理解する。自分の良いところと悪いところをしっかりと理解して、これができないんだったらじゃあこれをしよう」という心持ちに至る。そして、この気付きには周囲の人の言葉も後押しになっていた。

 あるとき同僚が、思い悩む鈴木に「自分が求めているものがどんどん高くなって満足しなくなっているということなんじゃない? そんなに自分を追い込まない方がいいよ」とアドバイスをくれた。鈴木は「ああ、そうか」と思った。
「私、普段こんなに笑っているんですけど、悩むとすごくネガティブになっちゃうので、客観的な目で周りから励まされたことが良かった」

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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