『浦和レッズの山田暢久』という時代=愛するチームを去る男が流した涙の理由

島崎英純

プロ生活の中で初めて緊張の糸を切った

努力をひけらかすことを好まない山田。しかし日々の節制と強靭な精神がプロサッカー人生の根本を支えていた 【Getty Images】

 浦和で現役を終える選択肢を考える一方で、自分の力はまだ衰えていないとも思うから、別の舞台で勝負したい気持ちもある。でも、それは自分の意思だけでは決められない。守るべき家族たちの思いも受け止めた上で、当初の彼はある程度の道筋を立てていた。
「単身赴任はしたくない。家族と一緒に暮らしたいから。でも、首都圏を離れて地方というのも……。いろいろあるのよ。長男は来年高校受験だしね」
 何だか人ごとのようだが、それもまたヤマらしい。

 中学時代の同級生である妻、明美さんはいつだって夫の意見を尊重してきた。
「『どうするかはヤマが決めなさい』って言いました。現役を続ける、辞める。それは本人次第だから。家族は見守るだけです」

 現役引退が頭をよぎった時、ヤマの身体に異変が起きた。これまでは自然に動いていた身体の節々が悲鳴を上げたのだ。普段の彼は努力をひけらかすことを嫌い、精進を表に見せないが、日々の節制と強靭(きょうじん)な精神がプロサッカー人生の根本を支えていたのは確かだった。
 しかし浦和での日々の終焉が目前に迫った時、彼はその身にまとっていた重い鎧を脱ぎ去り、20年目にして初めて緊張の糸を切った。

レッズ最終戦での出場はなし それでも気丈に振る舞う

 Jリーグ最終節のセレッソ大阪戦を週末に控えた練習では一時別メニューとなり、その代わりに別れを惜しんで練習場に詰めかけた約350人のサポーターへ約1時間半の時間を掛けてサインして回った。

 結局、C大阪とのJリーグ第34節、ヤマにとっての浦和レッズ・最終戦で彼の出番はなかった。チームは若武者・原口元気のゴールで先制するも、相手エース、日本代表FW柿谷曜一朗の2ゴールなどを浴びて大量失点を喫した。
 得点を欲する展開で守備的な役割を担うヤマがピッチに立つ余地はなかった。

 プロの矜持(きょうじ)を備える彼は、それを当然と受け止めている。惜別の念が強いファン、サポーターは門出の花道を用意しないミハイロ・ペトロヴィッチ監督の采配に異議を唱えたくもなるが、ヤマ本人はこう思っていたという。
「今回のように追いかける展開では俺の出番はないでしょ。たとえ大量失点を食らって、もう逆転の可能性が低い点差だと思われても、それを理由にミシャ(ペトロヴィッチ監督)が俺を出すと言ったら断るよ。『試合が終わるまでは勝つ可能性が残されているわけですから、俺じゃなくて攻撃的な選手、(山田)直輝たちを出してください』ってね。直輝だったら俺と同じ名字だからいいんじゃない? 関係ないか」

 身体は軋んでも、心は枯れない。試合終了までは全身全霊で勝利を目指す。その高潔なプロ精神を、ヤマは浦和レッズ在籍20年の歴史の中で培った。

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著者プロフィール

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動。現在は浦和レッズ、日本代表を中心に取材活動を行っている。近著に『浦和再生』(講談社刊)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。ほぼ毎日、浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿を更新中。

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