「散々な負け方も後悔はしていません」=柴田明雄が村田諒太との一戦を振り返る

船橋真二郎

10月上旬からジムワークを再開

8月の敗戦で心の浮き沈みを繰り返したという柴田だったが、10月上旬からジムワークを再開した 【スポーツナビ】

 プロ生活10年のベテラン。その間に日本スーパーウェルター級タイトルを2度獲得し、東洋太平洋スーパーウェルター級とミドル級タイトルの2階級制覇も果たした。通算戦績は30戦21勝(9KO)8敗1分。決して連勝街道をひた走ってきたエリートではない。国内の数多くの強豪たちと拳をまじえ、時に敗れ、また這い上がり、そうして力をつけてきた。柴田明雄(ワタナベ)とは、そんなボクサーだ。

 ボクサーの1敗は重い。「敗戦を糧に」と言葉にするのは簡単だが、実際にはどれほどの困難がつきまとうことか。その難しい過程を何度となく乗り越えてきた不屈のボクサーにとっても、8月25日の有明コロシアムで村田諒太(三迫)に喫した2回TKO負けの惨敗のショックは、どこまでも深く、重たいものだった。

 ジムワークを再開したのは10月上旬だったという。屈辱の敗戦から1カ月余り、柴田の煩悶は続き、心は浮き沈みを繰り返した。時を経て、最後に行き着いたのはベルトに込められた思いだった。ロンドン五輪ミドル級金メダリストのプロデビュー戦は、ミドル級超の73kg契約6回戦で行なわれ、東洋太平洋ミドル級王者の柴田にベルトは残された。
「自分だけの力じゃなく、みんなの力で獲らせてもらったベルトだし、持っている以上は可能性が残されていると信じようと。人生は一度きり、そんなことまで考えました」

「応援して良かった」と思ってもらえる選手に――

屈辱的な敗戦だった柴田だが、周りのサポートに「ボクシングをやって良かったと本当に思いました」と振り返った 【t.SAKUMA】

 メディアやネットなどを通じ、辛辣な批評や心ない声が少なからず届いた。今回ほど、これまで自分を支え、応援してくれた人たちの変わらぬ声が骨身に沁みたことはないと、柴田は目に涙さえ浮かべた。
「あの試合で感じたことはマイナスのことだけじゃなくて、自分はこんなにも、みんなに支えられて生きてきて、だから今の自分があるんだと、あらためて感じることができた。ボクシングをやって良かったと本当に思いましたし、もう一度、みんなに柴田を応援して良かったと思ってもらえる選手に復活したいと思ったんです」

 柴田に話を聞いたのは、11月も半ばを過ぎたころだった。この日、柴田は都内の某ジムに出向き、スパーリングを行なっていた。練習再開後は初めてというスパーリングを終えると「自分のボクシングを一から見つめ直しているところ」と柴田は言った。
「圧倒的な差があったし、足りないところだらけだと思い知らされましたから」

 12月6日、村田はアメリカ人選手とのプロ2戦目を両国国技館で迎える。この階級では国内トップのひとりである柴田を下したことで、村田陣営はすでに世界に舵を切り始めた。2月には、海外での試合をプロモートするアメリカ・トップランク社がアジア進出の拠点と定めるマカオのリングに登場する計画もある。

 もしかすると柴田は、プロでグローバルな活躍を期する村田との、日本人選手では最初で最後の対戦相手となるのかもしれない。柴田は果たして、日本プロボクシング界の期待を一身に集める五輪金メダリストの実力をどのように感じ、今後の自身のキャリアをいかに歩もうとしているのだろうか。

プロでの覚悟と責任――圧倒的な存在感だった村田

リングで相対したときに村田との骨格の違いを感じたという柴田 【t.SAKUMA】

「正直に言って、僕は村田くんの強さをほとんど引き出せなかったと思いますが……」
 柴田はこう前置きした上で、試合が始まる前から感じ取っていた村田の強さについて、こう話す。
「リングで相対したときにフィジカルの差というか、骨格の違いを感じました」
 柴田が日本スーパーウェルター級タイトルを保持したまま、東洋太平洋ミドル級王者の淵上誠(八王子中屋)に挑戦し、9回負傷判定勝ちでベルトをつかんだのは今年5月のことだった。本格的に1階級上げてから、まだ期間が短かったという点は差し引いたとしても、鍛え抜かれた村田の肉体の威圧は圧倒的だった。

 舌を巻いたのはフィジカルの差だけではなかった。
「精神的には自分が優位だと思っていた。彼はデビュー戦だし、あれだけのバックアップを受けて、環境も用意されて。それで負けたら、というプレッシャーは、やっぱり、ものすごいだろうと。ただ、そういうことを力に変えてきたのが村田くんで、それが金メダルにもつながったんだと思う。逆に堂々としている村田くんに気圧されたし、自分の思慮が浅かった」
 五輪前年の世界選手権で、日本人では初めて準優勝し、一躍、メダリスト候補となって迎えた大きなプレッシャーの中を勝ち抜いた経験。金メダリストとして、絶大なる注目と期待を浴びる中でプロ入りを決意した覚悟と責任。そんな村田が放つ存在感もまた圧倒的だったのだ。

 試合の流れは、柴田の左ジャブに対し、右ストレートをリターンした村田の最初の一発で、ほとんど決まってしまったように見えた。柴田もそれは否定しない。だが、それ以前に開始前からすでにのまれていたのかもしれないというのである。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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