バレンティン、AJを生んだ島国の秘密=なぜキュラソーからHR王が誕生したのか
「アンドリューが変えたんだよ」
ブレーブスやヤンキースなどで活躍、今季は東北楽天の初の日本一に貢献したジョーンズがキュラソー野球を全世界に知らしめた 【Getty Images】
「あれからすべてが変わった。アンドリューが変えたんだよ」
バレンティンは以前、そう話したことがあるが、前出のジャンセンもこれに同調する。
「まだ小学生だったけど、ジョーンズがワールドシリーズでホームランを打ったのはよく覚えている。あれには興奮したね。あれでみんながキュラソーに目を向けるようになったんだ。それからだよ。ここで野球がこれだけビッグになって、メジャーでプレーする選手が多くなったのは」
2000年代に入ると、キュラソーの少年たちは01年から9年連続でリトルリーグ・ワールドシリーズに出場。04年には初の世界王者になった。メジャーではこの年代になってから、今季までに10人ものキュラソー出身選手がデビュー。ブルワーズ傘下のハインリー・スターティアやドジャース傘下のダシェンコ・リカルドのように、これからメジャー昇格を目指すマイナー選手も少なくない。
神が与えてくれた才能のおかげ
「神が与えてくれた才能のおかげだろうね」
この地で長い間スカウト活動を行っているホフステード氏に言わせると、それは決して冗談ではないらしい。
「身体的に優れているのは間違いない。子供たちを見てごらん。彼らの多くは8歳ぐらいで既に野球選手らしい体型をしているんだ。腰の位置が高くて、アスリートらしい体だろう。彼らは他のどのスポーツよりも野球に向いた体をしているんだ。それも生まれつきだよ。だから、これは彼らが持って生まれた才能と言っていい」
つまり、キュラソーには元からダイヤの原石がゴロゴロ転がっていたということだ。もっともせっかくの原石も、誰の目にも留まらなければ埋もれたままになってしまう。その意味では、ミューレンスとジョーンズなくして今日の隆盛はなかったと言える。
第2のジョーンズ、第2のバレンティンの誕生へ
野球教室ではバレンティン(左から2人目)も炎天下の中、子供たちに熱心に指導を行っていた 【菊田康彦】
実は冒頭の記者会見は、この日から始まった「キュラソー・ベースボールウイーク」の幕開けを告げるものであった。このイベントでは、1200人を超える子供たちを年齢によって6つのグループに分けて野球教室を行い、主催者の1人であるミューレンスはもちろんのこと、バレンティンやジョーンズら「キュラソー・オールスター」が、真夏を思わせる炎天下で熱心に指導に当たっていた。夜の部では、指導者のための講習会も開催された。さらなる野球の発展のため、こうした地道な努力が続けられているのである。
このような姿勢が続く限り、今後もキュラソーからは多くのプロ野球選手が誕生するだろう。その中に第2のジョーンズ、第2のバレンティン、いやそれ以上の選手がいたとしても、驚くことではないのかもしれない。
<了>