難病と闘う大隣が歩む、未開の復活ロード

田尻耕太郎

「開幕ローテ入りを見据えている」

国指定の難病からの復活を目指しているソフトバンク・大隣 【写真は共同】

 11月19日、この日が20代ラストイヤーの誕生日だった大隣憲司に抱負を聞いた。
「特にやることは変わらない。まあ、良い1年にしたいですね」
 いつもと変わらぬひょうひょうとした表情でありながら、静かな語り口だった。胸の内は違うのだろう。「復帰」ではなく「復活」。この2文字が29歳の大隣のテーマとなる。マウンドに帰るだけではない。「開幕ローテ入りを見据えています。そして、1年間ローテを守り抜きたい」。乗り越えるべき壁はどれほどの大きさか、その全貌は見えない。まだ誰も通ったことのない復活ロードを、大隣は切り拓いていく。

 思えば、28歳の1年間はいろいろあり過ぎた。昨季自己最高の12勝、防御率2.03の成績を評価され、侍ジャパンに選出。「球界のトップレベルの選手が集まる場所に選ばれたのは光栄」と、まさにプロ野球選手としての絶頂期を迎えつつあった。さらにWBC本大会では1次リーグのキューバ戦、2次リーグのオランダ戦の先発マウンドを任された。日本を代表する左腕として認められたのだ。
 ペナントレースでは攝津正と「左右のエース」として大いに期待されていた。しかし、誰もが想像もしなかった事態が、大隣を襲った。

原因は不明!国指定の難病「黄色靭帯骨化症」

 開幕から連敗スタートを喫したものの、4月23日の北海道日本ハム戦と29日の千葉ロッテ戦で連勝を飾り、ようやく本領発揮が見え始めた頃、大隣は体の異変を感じていた。
「千葉でのロッテ戦の時です。左足の感覚がなかった。温かいとか冷たいとか、それを感じることができなかったんです」
 その頃は故障経験のある腰痛も発症していたため、その影響かもと思っていた。しかし、痺れも感じるようになった。一旦登録を外れ、再調整を経て約1か月後に復帰し5月31日の広島戦では6回途中3安打2失点(自責1)で3勝目をマークした。しかし、足の痺れは消えない。足裏の感覚がなく、階段を駆け下りることもできない。手すりにつかまりながらゆっくり足を進めるが、それでも膝がカクンと折れた。その後、再びマウンドから姿を消した。

 原因が公表されたのは6月15日。ソフトバンク球団から「黄色靭帯骨化切除術」のオペを受けるというリリースが報道各位に流されたのである。国指定の難病である「黄色靭帯骨化症」だったのだ。
 黄色靭帯骨化症とは脊柱の後方、つまり背中の中心付近にある、椎弓をつなぐ黄色靭帯にカルシウムが沈着して骨化することで発症する疾患である。原因は不明。プロ野球界では投手がしばしば発症する例があり、93年に酒井勉(当時オリックス、現楽天2軍チーフコーチ)、06年に宮本大輔(当時オリックス)、近年では12年6月に越智大祐(巨人)がこの診断を受けている。酒井は1軍復帰できずに引退。宮本は08年に1軍で2試合に投げるも同年限りで引退。越智は今季の復帰を目指したが、1軍登板はなかった。

1/2ページ

著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント