松井大輔が語る欧州10年目の今=ポーランドで目指すトップ下の新境地開拓

元川悦子

トップ下で挑む周りを走らせ、動かすサッカー

チームでトップ下を担うことが多い松井。臨機応変にやってきたから欧州で10年も続けられたと振り返る 【六川則夫】

 現在のチームで松井は4−2−3−1のトップ下を担うことが多い。発展途上の若手たちは確実につないで得点まで持っていくことができないため、松井にその仕事がすべて課せられる状態なのだ。それゆえ、彼は自分が言うように頭で考えながら周りを走らせ、動かすサッカーを自ら実践しようとしている。

「このチームはうまくつなげないんで、つなぎ役やパッサー。フィニッシャーを自分が全部こなしていかないといけない。それは難しいことです。でも4部リーグでプレーしていた西翼(専修大学出身)っていう選手が後期から来ることになったから、少しはましになるんじゃないかな。彼はボランチだから、自分を生かしてくれると思いますね。

 ウチはセットプレーでやられることが多いから、まずしっかり守って0点に抑えないと。あとは得点力アップ。しっかりチャンスを作って決めるところの精度を高めないといけない。ゴールを取れる選手がいないのは監督の悩みどころ。レヒアは堅実経営のクラブで有名なんで大盤振る舞いはしないし、大物FWを取ることはない。だからこそ、自分がやらないと。現時点で2点っていうのは足りないし、もっと取れる。嘉人(大久保、川崎フロンターレ)みたいに20点とはいかないけど、何とか近づきたいですね」と、松井は自分の役割を明確に理解している。

 環境や年齢に応じてプレースタイルを変え、周囲に合わせていくことの重要性を、彼は欧州10年間の経験からよく分かっている。だからこそ、苦境に立たされても耐えぬくことができた。

「お金が払われないとか、監督の話が違ったとかいろんなことがあったのは事実。でも経験は自分の財産。自分としては苦労とは思ってないし、こうやって今も楽しくサッカーができるのも過去の経験があったから。移籍やクラブ経営のことも分かったしね。

 欧州で10年も続けられたのは、臨機応変にやってきたからかな。いい時も悪い時もあるし、出られない時も出られる時もある。監督も変わる。そういう中で常に自分の求められることを考えながら、もがきながらやってきた気がするよね」と、彼はしみじみと長くもあり短くもあった欧州生活を振り返る。

日の丸への熱い思いを語る

日本代表の動向は松井も常に気にしている。W杯を戦ううえで一番大事なこととして「チームのバランス」をあげた 【六川則夫】

 ただ、世界から注目された南アフリカW杯の後、松井をステップアップさせてくれるクラブへ移籍できていたら、今も日本代表の一員として戦っていたかもしれない。そう考えると非常に残念な気もする……。

 だが、彼はその見方を打ち消した。

「でも最終的にこれが俺だと思うよ。ビッグクラブに行ってバーンとやれるわけでもないし、自分の実力も分かっている。だから、W杯も出られてすごい運がよかったと思ってる。まずW杯に出たいって目標しか俺にはなかったから」

 カメルーン戦で本田圭佑の先制点をアシストしてから3年半。日本代表はブラジルW杯に向かっている。かつての盟友たちの動向を松井も常に気にしている。

「日本がベルギーに勝ったと言えばチームメートからもリスペクトされる。それはうれしいことですよね。将来的には日本にはW杯でベスト8とか4とかに行ってほしいと思っている。だけど、前回より上とかあまり比べてほしくはないよね。南アの時は負けるって言われてたたかれてたけど、今はチームへの期待がすごく大きいし、選手たちのプレッシャーも大きいだろうから。

 ただ、前回の経験者が多いのは大きなプラスじゃないかな。俺は何回もW杯を経験してる人をもう1人入れてもいいと思うくらい。南アの時、能活さん(川口、ジュビロ磐田)を入れたのはすごくよかったから。W杯を戦ううえで何が一番大事かっていうと、チームのバランスだと僕は思うんです。先発の11人もそうだし、11人以外もそう。それが保てれば、最後にグッとと固まれる。団結力を日本は持ってるわけだからね」

 このように松井自身は日の丸への熱い思いを抱きつつ、現在の戦いの場で地道な努力を続けている。「できれば40くらいまで海外でやりたいよ。カズさんの引退をしっかり見届けてから自分も終わりたいってのはあります」と茶目っ気たっぷりに笑った彼が30代のキャリアをどう熟成させていくのか……。

 ここからのさらなる飛躍と変貌に期待したい。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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