町田樹、昨日より強い自分へ――不調に打ち勝った意味あるロシア杯

野口美恵

不調のままでの現地入り

不調を乗り越えてロシア杯優勝をもぎ取った町田、GPファイナル、そして全日本選手権へ向け意味ある大きな一戦だった 【森美和】

「今の自分は、昨日や一昨日より数倍強くなっている」。GP6戦目のロシア杯(11月22〜24日)を257.00点で逆転優勝した町田樹は、力強く言い放った。スコア自体は、スケートアメリカの265.38点に及ばない。しかし町田にとっては不調のコンディションに打ち勝った、意味ある一戦だった。

 不調は西日本選手権(11月1〜4日)のあとから始まった。4回転どころか、トリプルアクセルも決まらない状態。ロシア杯でモスクワ入りしてからも、ジャンプは不安定なままだった。昨季はGPシリーズの好調から一転、12月のGPファイナルで失速しただけに、同様にペースが落ちていく不安が頭をかすめた。

 試合前夜、ホテルの部屋に戻ると、インターネットでクラブミュージックのラジオ番組をかけ、気持ちを紛らわそうとした。
「不安でいろいろ考えすぎると脳が疲れてしまう。脳と身体は繋がっているものだし、脳を休ませることも大事。いっそのこと全てを忘れた方がいい」
 クラブミュージックを「隣から苦情がこないかな」と思うくらいの大音量でパソコンから流し、たった一人、部屋で踊った。スケートのことも不調のことも頭から消し去ろうと、もがいていた矢先、ラジオのDJが紹介した言葉が耳にはいった。

「つらい事の中にこそ自分の活路があり、弱さや嫌なことが自分を成長させる」

 ドキっとした。自分のことを言っている、と感じた。

「そうか、スケートアメリカ(での優勝)は何のアドバンテージにもならないし、僕はいま逆境にいるんだ。この不調を乗り越えた先に、昨日よりも強い自分がいる」
 これが勇気のきっかけになった。

脚が震えた本番 「とにかく『やる』ことに集中」

脚が震えたというSP本番「とにかく『やる』」だけだった 【森美和】

 試合当日の公式練習は最悪だった。4回転は、回りきってから転倒するならまだしも、1回転や2回転に。ジャンプの感覚は迷子のまま練習が終わった。直前の6分間練習では4回転を降りたが、それも本来の感覚ではない。本番直前、アンソニー・リュウコーチは、強い口調でこう言った。
「パーフェクトじゃなくてもいい。最後まで諦めずに自分を追い込んでこい」

 ラジオで聞いた言葉とコーチの言葉が重なり、強く町田の心に刺さる。普段は頭で考えて自分を納得させるタイプだが、今回ばかりは理屈より気合いが勝った。
「本番はヤバイな、と頭をかすめていました。でも頭で考え出したら悪いスパイラルに入ってしまう。とにかく『やる』ということだけに集中しました」

 本番中は、ずっと不安で脚が震えていたという。ショート冒頭の4回転+3回転はステップアウトするが、トリプルアクセル、3回転ルッツは、軸が斜めでも転倒せずにこらえる。緊張による疲れや力みでスタミナを使い、ショートだというのに息が上がってしまった。
「この不安の中、よく耐えてくれたという感じでした。後半はもう脚に力が入らなかった。明日はもっと肩の力を抜いてやりたいです」
 84.90点の2位発進にも、笑顔は見せなかった。

全力尽くして堂々V 夢の舞台目指して成長

夢の舞台・ソチ五輪へ、町田がラストスパートをかける! 【森美和】

 フリーもコンディションは上がらず、同じく気力頼りだった。ジャンプ1本1本、踏ん張ることの繰り返し。4回転もトリプルアクセルも1本ずつ成功、1本ずつ着氷ミスとなったが、転倒なく最後まで滑りきった。
「文字通り、全力を尽くすという感じでした。すべてのジャンプが厳しい状態で、補正、補正で耐えたので、心身共に労力を使いました」と町田。しかし終えてみれば得点は、フリー172.10点、総合257.00点。他のGP戦よりは低いものの、堂々たる成績で優勝だった。

「つらい状況こそが自分を成長させる、その言葉を体現できました。今の自分は、昨日や一昨日より数倍強くなっていると感じています」
 モスクワ入りしてから一度も見せなかった安堵(あんど)の笑顔が漏れた。

 手応えをつかめば、次の欲も出てくる。
「今回はどうしてもGPファイナルに行きたかったので、順位や技を気にして、表現がおろそかになったのが悔しい。それは僕が求めるスケートではありません。GPファイナルは、順位は気にしないことにします! 小中高と練習で通った福岡の地で、これまでの軌跡をかみしめる思いで、心を込めて舞いたいです」

 GPファイナルも五輪代表選考に影響するが、順位よりも演技に集中するという。それは、自分を信じられたからこそ出る言葉だ。
「去年はGPファイナル進出が決まっただけで舞い上がってしまい、志が低かった。今年は違う。順位は関係なく、納得いく表現をしたい。僕の演技をすることが、全日本選手権に向けての加速装置になる。そして全日本はどんなコンディションでも、死にものぐるいで光をつかみに行きたい」

 昨日よりも強くなった町田が、夢の舞台へラストスパートをかける。

<了>
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著者プロフィール

元毎日新聞記者、スポーツライター。自らのフィギュアスケート経験と審判資格をもとに、ルールや技術に正確な記事を執筆。日本オリンピック委員会広報部ライターとして、バンクーバー五輪を取材した。「Number」、「AERA」、「World Figure Skating」などに寄稿。最新著書は、“絶対王者”羽生結弦が7年にわたって築き上げてきた究極のメソッドと試行錯誤のプロセスが綴られた『羽生結弦 王者のメソッド』(文藝春秋)。

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