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一度は引退…久保英恵 五輪への15年
アイスホッケー女子、帰ってきた天才

15歳、火が灯った五輪への夢

帰ってきたアイスホッケー女子のエース・久保英恵、五輪への15年の道のり
帰ってきたアイスホッケー女子のエース・久保英恵、五輪への15年の道のり【田口有史】

 アイスホッケー女子日本代表が開催国枠で初めて出場した1998年の長野五輪を、当時15歳だった久保英恵(はなえ)は「ワクワクしながら見ていた」という。「試合内容とかもほとんど覚えてないんですけど、こういう大きな舞台でアイスホッケーが出来たらいいな、というふうには思ってました」


 代表候補ではあったものの出場は叶わなかった長野五輪後、久保は日本代表のエースであり続けたが、日本は五輪出場権を逃し続けることになる。あと1勝が足りなかった18歳での2002年ソルトレークシティー五輪の最終予選に続き、次のトリノではあと1点、その次のバンクーバーではあと1勝足りなかった。


 21歳。「多分ホッケー人生の中で一番いいパフォーマンスができていた時期」と久保自身が振り返るトリノ五輪最終予選・最終戦のロシア戦は、引き分けでも出場権を獲得できる状況だった。1−3とロシアに2点リードされて迎えた最後の第3ピリオドは、その半分以上の時間が日本のパワープレー(相手のペナルティによる数的優位の状態)という展開になるが、日本はなかなか得点できない。試合の残り時間が1分を切ってから2点目のゴールを決めたのは久保だったが、日本は1点差を詰められず、トリノへの道は閉ざされた。


 25歳。バンクーバー五輪予選では代表に入っておらず本大会での復帰をもくろんでいた久保は、日本の予選敗退の報を聞き「もうアイスホッケーをやっている意味がない」と感じ、現役引退を決意する。約2年のブランクを経ての復帰に際して一番背中を押されたのは「若林メルさん(日本アイスホッケー連盟副会長・若林仁氏)から声をかけて頂いたこと」と久保は言う。

現役復帰 30歳、ついに決めた五輪出場権

一度は引退……しかし、五輪の舞台に上がるため再びリンクに戻ってきた
一度は引退……しかし、五輪の舞台に上がるため再びリンクに戻ってきた【田口有史】

 久保とかつての名FW若林氏が親交を深めたのは、トリノ五輪予選敗退後の05年、久保がより高いレベルでのプレーを求めてカナダのリーグでプレーしていたときの事だ。当時カナダに住んでいた若林氏は、23歳の久保を見てその才能に驚き、自宅で食事を共にするなどして交流してきた。若林氏には、プレー上のアドバイスももらっていたと久保は言う。

「シュートコースについて『(GKの)肩口が上手なんだから、上の方を狙ってやりなさい』と言われていました」


 ソチ五輪へ行くためには久保の力が必要と考えた若林氏は、出身地である北海道・苫小牧市に戻っていた久保に会いに行き、説得を続けた。その熱意を受け復帰した久保は、今年2月、ソチ五輪最終予選に臨んだ。3点差を逆転して貴重な白星を挙げた初戦のノルウェー戦、久保は「チーム全員、負ける気がしなかった。最後まで自信を持ってプレーできていた」という。トリノ五輪予選最終戦で1点差を詰められなかった日本の弱さは、過去のものとなっていた。久保自身、2得点3アシストの働きを見せてMVPを受賞、遂に五輪出場を決める。最終戦の対デンマーク戦、久保が挙げた日本の2点目は、若林氏の教え通りGKの肩口まで上がってゴールへ吸い込まれるシュートだった。

 長野五輪では観客だった中学3年生がようやくその舞台へ上がる切符を手にしたとき、かつての天才少女は30歳になっていた。

沢田聡子

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(シンクロナイズドスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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