内田篤人が胸に秘めた勝利への渇望=セルビア戦で見せた世界レベルの守備力

元川悦子

週2回の過酷スケジュールで代表戦の相手も忘れる!?

シャルケで過密日程をこなす中、セルビア戦でも好パフォーマンスを見せた内田 【Getty Images】

 2010年秋のシャルケ04移籍から丸3年。ドイツ4シーズン目を迎えた内田篤人は、開幕からの超過密日程の真っ只中にいる。

 8月11日のハンブルガーSV戦で今季ブンデスリーガをスタートさせた直後に、宮城で行われた日本代表のウルグアイ戦のため一時帰国。ドイツへとんぼ返りすると、今度はUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)予備戦・PAOK戦に挑み、本選出場を決めた。その直後に再び帰国し、日本代表9月2連戦(6日・グアテマラ戦=大阪、10日・ガーナ戦=横浜)を消化した。
 そして9月中旬からは欧州CLとリーグ戦の掛け持ちが始まり、週2回ペースのタフな公式戦が続く。身を挺したフル稼働が実り、シャルケは欧州CLでステアウア・ブカレスト、バーゼルに連勝してE組トップに立った。
 内田自身もステアウア戦でラッキーな欧州CL初ゴールを奪い、勢いに乗りつつある。ブンデスリーガの方は序盤戦の出足が鈍く、下位からのスタートを余儀なくされたが、ここへきて着実に順位が上がってきた。

 まさに驚異的なスケジュールをこなしている内田だけに、テストマッチである10月2連戦(11日・セルビア戦=ノビサド、15日・ベラルーシ戦=ジョジナ)のことまで考えている余裕は全くなかったのだろう。ノビサド入り直前まで対戦相手を知らなかったという。
「とりあえずミュンヘンへ行ったらみんなと合流するってことで、そこから先は……。シャルケの選手に『今度の日本代表の練習試合はどことやるんだ』と聞かれたけど、分かんなくて。『お前、知らないのか』って言われましたね」と本人も苦笑いするしかなかった。

CL、コンフェデを経て身に着けた高い守備力

 クラブの関係者にも「ケガだけはするな」と送り出された内田自身、多少なりとも疲労を感じていたようだ。どんな時も人前で弱音を吐かない男が「もも裏とかも完ぺきではないし、連戦連戦だと堪えるものがあるから」と不安を訴えたのを見ても、コンディションは万全ではなかったのだろう。
「自分はモチベーションに大きく左右される人間だから……」とも言うように、頭の切り替えも難しかったはずだ。そんな状況ゆえに、セルビア戦での彼のパフォーマンスが少なからず懸念された。

 デヤン・スタンコビッチの引退試合ということで、開始10分後に全員で整列して偉大な選手を送り出すという異例のセレモニーも盛り込まれ、日本選手にとって非常に難しい入りを強いられたこの試合。「僕たちはそういうのは関係なしにやろうと言っていたけど、明らかに立ち上がりはうまく入り切れなかった」と香川真司も認めていた。

 そんな日本を尻目に、セルビアは自陣で強固な守備ブロックを作り、いい位置でボールを奪って鋭いカウンターを次々と繰り出してくる。特に右サイドはドゥシャン・バスタ(ウディネーゼ/イタリア)とアントニオ・ルカビナ(バジャドリー/スペイン)の2人がいいタテの連係から積極的に仕掛けてきて、香川と長友佑都という日本自慢の左のラインもズルズルと低い位置に押し込まれる。「真司があれだけ下がったらいい攻撃はできない」と長友も悔しそうに語ったが、この日に限っては、彼らのサイドの力関係は相手が上だった。

 内田と岡崎慎司が陣取る右サイドの方も、ゾラン・トシッチ(CSKAモスクワ/ロシア)とネナド・トモビッチ(フィオレンティーナ/イタリア)のタテのラインが虎視眈々(たんたん)と深い位置まで侵入しようとしてきた。試合前のコンディションやメンタル面を踏まえると、内田がいい守備を見せられるかどうかは未知数の部分も大いにあったのだが、さすがはシャルケで欧州CLベスト4の舞台を経験している選手。そう簡単には相手にスキを見せない。トシッチとの1対1はほぼ完ぺきに抑え、吉田麻也・今野泰幸の両センターバックに安心感をもたらした。

 後半途中から出てきた17歳の新鋭、アンドリヤ・ジブコビッチ(パルチザン/セルビア)に対しても激しく寄せてプレッシャーを与える。その迫力は凄まじいものがあった。
「対人ではノーファウルでボールが取れるって思ってましたし、それはドイツでもいつもやってること。何回かインターセプトも狙いましたし、まあよかったと思います」と内田は自身の守りに手ごたえをつかんだ様子だった。6月のコンフェデレーションズカップ・ブラジル戦(ブラジリア)でネイマール(バルセロナ/スペイン)を封じた時もそうだったが、欧州CLやブンデスリーガなどのハイレベルな経験は確実に彼の力になっている。それを実証する仕事ぶりだった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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