存続の危機を乗り越えた前年覇者=横浜ビー・コルセアーズの新たな船出

柴田愛子

昨シーズンの覇者である横浜。しかしこのときすでに存続の危機の中で戦っていた…… 【(C)AFLO SPORTS/bj-league】

 bjリーグ2012−2013シーズンの覇者、横浜ビー・コルセアーズ。参入2年目での快挙に、地元の盛り上がりや新規スポンサーの獲得など、さらなるチームの発展が期待された横浜だったが、現実は極めて厳しいものだった。優勝を決めたファイナル終了時点で来季への余力は残っておらず、もはや沈没寸前にまで追い込まれていたのだ。

 なぜ、優勝チームが運営を全面委託し、経営再建の道を歩むことになったのか。横浜の抱える問題と再出発に迫る。

優勝の影で忍び寄っていた存続の危機

「2013年1月の時点で、横浜ビー・コルセアーズがこのままではシーズンをまっとうできないかもしれないという、かなり厳しい状況であることが分かりました」

 そう話すのは、bjリーグのチーフプロデューサーであり、2013年7月から横浜のエグゼクティブプロデューサーに就任した岡本尚博氏だ。リーグから横浜の運営についての調査を依頼された岡本氏は、横浜がすでに破綻寸前まで追い込まれている現状を知り、がくぜんとしたという。

「外から聞いていた状況よりも、内情は相当厳しいものでした」(岡本氏)

 危機的な運営状況とは裏腹に、チームは順調に勝ち星を積み上げレギュラーシーズン2位の成績でプレイオフ進出を決めると、さらにファイナルでライジング福岡を101−90で破り、見事参入2年目にして初優勝を手にしたのだ。しかし、状況が好転することはなかった。

「ファイナル終了時点で完全に資金はショートし、回らなくなっていました」(岡本氏)
 チームとしては最高の形でシーズンを終えたにもかかわらず、選手やスタッフに待っていたのはチーム存続の危機だった。

マンパワー不足と閉ざされたチーム運営

 bjリーグとしても、力を入れたい首都圏のチームであり、なおかつ優勝チームが消滅するということは何としても避けなくてはならない。今まで運営を行ってきた横浜スポーツエンタテインメントからリーグ会社の広報・宣伝活動を担っていた大手広告通信社に運営権を全面委託することで、早急に経営の再建に向けた新体制への移行が行われることとなった。

 なぜ優勝チームの横浜が経営破たん寸前までいってしまったのだろうか。それは「マンパワー不足と閉ざされたチーム運営」によるものが大きい。6月に行われたブースター説明会において、「スポンサーひとつとっても一度で当然決まるはずもなく、二度三度、十回でも二十回でも通わなければならない。また、行政との調整も一度や二度ではできません。社員は私を入れても4名。どうしてもマンパワーが不足し、我々の思惑とは違う色々なほころびが出てきました」と前球団代表であり、現在は会長職に移行した廣田和生氏が、ブースターに包み隠さず内情を吐露した。限られた人材で複数の仕事を掛け持ち、さらに情報共有がうまくできていなかったこともあり、様々な部分でひずみが生じていたのだ。

「かなり前の段階からチームがヤバイといううわさは出ていた。でも、どんな状況かは分からなかったので、説明会に行ってここまでひどかったことにびっくりした」と参加したブースターも内情を聞いて驚いた様子だった。これまでにもチームの盛り上げに協力したいブースターから、運営や演出、さらには集客に関する提案やアイデアがチームに寄せられていたが、マンパワー不足では対応できるはずもなく、ブースターの声はチーム運営に生かされていなかった。

 さらにスポンサーや行政からはこんな指摘が相次いだという。「なかなかチームから情報が上がってこない」という不安の声だ。一体チームはどういう方向性で進みたいのか。何を必要としているのかが伝わっておらず、チームを支えてくれるブースターやスポンサー、さらには行政といった外からのネットワーク構築が上手くできていなかったことが、運営をさらに苦しい状況へと追い込んでいった。この閉ざされた空気を変えなくてはいけない。

横浜の再生はここから始まった。

情報公開によるブースターとの連携

経営再建に乗り出したのはバスケットボールに精通した人物でない、広告代理店の植田氏 【(C)B-Corsairs/bj-league】

「人に対して丁寧に接して、思いを受け止め、誠意を持って対応できる人物が新しい横浜のトップであるべきだ」という考えのもと、球団代表を任されたのは、地元の有力者でもなく、バスケットボールに精通した人物でもない、7月から運営委託をうけた広告代理店の一社員であった植田哲也氏(42歳)だった。

「彼に話をしたのは3月中旬くらい。一つの組織を率いるチャンスはめったにないが、リスクも大きい。少なくとも最初の1、2年間はフル稼働で家族と過ごす時間はほぼないと思っておいたほうがいい。優勝チームを立て直すという精神的重圧も相当なものだろう。それを踏まえて考えてもらいたい」そう岡本氏は話をしたという。

 さらに上は8歳、下は2歳の父親でもある。未知の領域にほぼフル稼働で挑戦してほしいというのだから、家族の理解とともに、本人も相当な覚悟なしでは決められなかっただろう。「お世話になっている人に相談したら、お前が損するだけだよと言われました。妻からも猛反対を受けましたね」と周囲の意見は厳しいものだったという。

 しかし、彼は挑戦することを選んだ。「めったにないチャンス。失敗すると言われているなら、とことんやって、だめならそれまで」。そう腹をくくった。

 こうして植田氏が球団代表となり、新体制の執行部がスタートした。まず新しい執行部が取りかかったのは情報をオープンにし、風通しを良くすることだった。シーズン終了から1カ月後には「横浜リバイバルプラン」を発表。わかり易い言葉で方向性を打ち出し、ブースターに協力を求めた。実際、このオフにはチーム主催のブースターミーティングが3回開かれ、ブースター主催の非公式ミーティングも3回以上開催された。

 ブースターからは選手が参加できそうな地域のイベントや、スポンサーになってくれそうな企業、さらには集客のアイデアなどの情報が寄せられ、そのうちの幾つかはすでに実行に移されている。また、個人株主の一般公募にも踏み切り、10月10日現在で260以上の株が購入された。スポンサーや行政に対しても、専任の担当者を置き、緊密なコミュニケーションを取り始めている。

 また、横浜以外での開催ゲームにおいては、地元の有志による実行委員会、応援団が結成され始め、試合の開催、告知、集客などに協力する形もできつつある。まだまだ始まったばかりで、全てが上手く回っているとは言えないが、開かれたチームを目指した改革が少しずつ歩みを進めている。

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