DeNA梶谷 覚醒呼んだ「弱さ認める強さ」
ギリギリの心を支えた中畑監督の信念

ブレイクのはずが…昨季味わった「本当のプロの怖さ」

中畑監督が信じる梶谷の才能。この覚醒は“本物”となるか――
中畑監督が信じる梶谷の才能。この覚醒は“本物”となるか――【(C)YDB】

 梶谷隆幸は目覚めたのか。


 今シーズン、8月からここまでの鬼神のごとき働きは、フロックか、本物か。

 昨年80試合、打率1割7分9厘、2本塁打。

 今季76試合、打率3割4分4厘、15本塁打。OPS1.036……?


 この極端すぎる格差。……本当に信じていいものなのか。


「今の成績は自分でも想像以上の数字が出ています。打率3割? ホームラン15本? びっくりですよ。去年を思えば考えられない数字です。ただ、それもこれも、去年があったからだと思えています。いろんなことを経験させてもらいましたから。試合の中でも、外でも」


 2012年10月。宮崎――。

 「期待外れ」の誹りを散々に受けた苦しいペナントレースを終え、フェニックスリーグ参加のため宮崎に来ていた梶谷は、その口ぶりから心身ともに疲弊しきっていた。


「今年は本当に、苦しくてつらいシーズンでした。特に何がというわけじゃないです。打つこと、投げること、守ること、すべてが怖くなって……“野球イップス”とでも言うんですかね。以前の僕なら『試合に出ているくせに贅沢な悩みだ』と言うかもしれないけど、これまでとはまったく違う怖さを感じたというか、もう、野球をやること自体が嫌になって、辞表を出せるなら出したいと本気で思っていましたから」


 DeNAベイスターズ1年目の昨シーズン。6年目の24歳、梶谷は新しいチームに現れた希望だった。

 その年のオープン戦、17試合で打率3割4分7厘、13盗塁で盗塁王を獲得。見事ブレイクを果たした梶谷は、瞬く間にDeNAベイスターズ期待の新星となり、開幕戦の1番ショートのスタメンを勝ち取った。

 新監督だった中畑清は、チーム合流後にはじめて見た梶谷の能力に衝撃を受けた。


「2月のキャンプで初めてチームを見た時に、真っ先に目に飛び込んできたのが梶谷だった。脚力、身体のバネ、パワー、守備範囲、なんというか超人的というような身体能力の高さを持っている雰囲気があった。こいつの可能性にかけてみたい、そう思わせる魅力があった。さらに実際にオープン戦で起用してみると結果も出した。タイトルが狙える、そう期待して開幕の先発にも抜擢(ばってき)した」

 12年3月30日の開幕阪神戦。1回表、DeNAとなり初めてのバッターボックスへと入った梶谷は能見篤史から三遊間を強襲する打球を放つも、ショート鳥谷敬が横っ飛びの好守でアウト。

 あの瞬間にどうしようもなく湧いてきた嫌な予感は、果たしてその後の梶谷の身に現実のものとして降りかかる。


「オープン戦の頃はとにかく開幕ベンチを目標にバッティングも守備も無我夢中でやっていただけです。気が付いたらあり得ない数字が残っていました。開幕戦。正直、1打席目の鳥谷さんのファインプレーは僕も『ふざけんなよ……』と思いました。その日、ヒット性の当たりを2本捕られて、確かに出鼻をくじかれたましたけど、本当のプロの怖さを感じたのは本拠地開幕の中日戦でした。相手キャッチャーの谷繁(元信)さんの攻め方が、オープン戦とは全く違うんです。好きなコースに一球もボールが来ない。苦手な外角を徹底的に攻められて、そこからは、もう、ドツボです。今思えば、オープン戦で丸裸にされていたんですよね。結果が出なくなって焦りました。打てない球を追い掛けて、打てる球まで打てなくなる悪循環で、4月の終わりの打率は0割台、どこかの市外局番みたいな数字ですよ。このシーズン、いろんな人から期待を受けて始まりましたけど、誰よりも期待していたのは僕自身です。その期待、“やれる”という自信も、この1カ月で木端微塵(こっぱみじん)に砕かれて、残ったものは、『あ、俺って野球に向いていないな』という思いだけでした」

打撃不調が守備にも影響 陥った“ミスへの恐れ”

梶谷(手前)の守備練習を見つめる中畑監督(左)
梶谷(手前)の守備練習を見つめる中畑監督(左)【(C)YDB】

 この年の前半戦、1軍の舞台でブレイクしたものは、梶谷の才能ではなく、ハートだった。


 結果が出ない焦りから、打撃では自分の形を崩し、守備でも集中力を欠くようなプレーが随所に見られた。それでも中畑監督は打率0割台の梶谷を辛抱強く起用を続けるが、日増しに梶谷起用に対する疑問や不満の声は増えていく。開幕ダッシュに失敗しチーム全体が低迷していることもあり、4月の後半には追われるように2軍へ降格した。

 半月後の5月には渡辺直人が肩を脱臼したことで1軍へ復帰。2軍で一度リラックスしたことで、梶谷は代走要員から徐々に結果を残し始め、6月20日には3安打の猛打賞で打率を2割台に乗せるまでに復調してきたが、調子を上げてきた7月11日。2塁へスライディングした際に右足首を故障し登録抹消。

 8月に1軍へ復帰すると再び調子を崩し、月間打率は0割8分1厘。またしても泥沼にハマった梶谷の調子は二度と浮上することはなかった。


「結局、バッティングの不調を引きずってしまったことで、他のプレーにも悪影響を及ぼしてしまったんです。ミスをして試合の中で切り替えようと思うんですけど……簡単にできるもんじゃない。自分の中では引きずっているつもりはないんです。例えばエラーをした時も『よし、次はやってやる!』と強い気持ちを持つんですけど、気が付くと頭の中に『次エラーしたら非難の嵐かもしれない』という思いが自然に浮かんでいる。それが、打球に対して一歩前に出ることを躊躇させる。送球も腕が縮こまってしまったりと、最後まで“ミスを恐れる自分”を振りほどくことができなかった。

 盗塁も同じですね。塁に出てもスタートを切る勇気がなくなるんです。走る前にアウトになった時のことを考えてしまうから、『盗塁して失敗するよりも、せっかくヒットを打ったんだから、それで終わらせておこう』という逃げの考え方になる。盗塁のサインが出てもスタートの一歩を切れない。スタートを切ったとしても、『あ、ちょっと遅かった』って言い訳して戻ったりとか……すべてが悪い方へ流れていきました」

村瀬秀信

1975年8月29日生まれ、神奈川県茅ケ崎市出身。プロ野球とエンターテイメントをテーマにさまざまな雑誌へ寄稿。幼少の頃からの大洋・横浜ファン。著書に「プロ野球最期の言葉(イースト・プレス)」などがある。来春には「さよならベイスターズ」(仮題・双葉社)を上梓する予定。

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