安藤美姫「世界と戦えると感じた」驚異の復帰戦

野口美恵

出産後半年での復帰戦 SPで見せた柔らかな滑り

復帰戦で見事な滑りを見せた安藤。SP終了後、ホッとした様な仕草を見せた 【Getty Images】

 3季ぶりとなる安藤美姫の復帰戦。出産後、半年の身体でどこまでジャンプを跳べるのか――。期待と不安の入り交じる空気感のなか、ネーベルホルン杯(ドイツ・オーベルストドルフ、9月26〜28日)は開かれた。

 4月に女児を出産。6月初旬のアイスショーではジャンプなしでも演技を披露して氷上に戻り、6月末のショーでは早くも3回転サルコウを解禁した。7月のショーでは3回転サルコウを何度も成功させ、ジャンプ力の復調を感じさせていた。

 しかし試合となれば、そう簡単ではない。3本のジャンプを入れるショートプログラムはまだしも、7本のジャンプがあるフリースケーティングは4分。普通に毎日練習しているアスリートでも体力的にキツい演技を、出産後の身体でこなせるのかが課題だった。もちろん当日にピークを合わせる試合感覚や、世間の注目を集めていることへのプレッシャーも相当大きいだろう。1日1時間の練習をこなしてきた安藤は、練習不足と焦りに板挟みになりながら試合当日を迎えた。

「とにかく体力がない」と話した安藤。しかし伸びやかな演技で観客を魅了 【写真は共同】

「1時間の練習を2日続けるだけでも体調を崩してしまう。とにかく体力がない状態。まずはケガをしないことが大事です。衣装着たときに骨格が変わったなという印象をうけて、まずは人前で恥ずかしくない体型に戻す事から始めました」という。

 出産後半年とは思えない絞った身体で登場したショートプログラム。「マイ・ウェイ」の艶やかな曲に乗り、ゆっくりと滑り出す。冒頭の3回転ルッツを見事に成功させると、そこからは1つ1つのエレメンツを落ち着いてこなしていった。筋力が落ちパワーが無くなっているぶん、かえって無駄な力が抜けてスケーティングが柔らかくなっている。逆境を逆手にとり、マイ・ウェイの曲調に合った伸びやかな演技へと自分の持ち味を変化させてきたところは、脱帽ものだ。3つのジャンプを含み大きなミスなくまとめると、59.79点で2位発進となった。

直前練習では転倒 「本番力」を発揮したフリー

2位で復帰戦を飾った安藤。笑顔で観客席を見上げた 【写真は共同】

 驚異の実力を示したのは、フリースケーティングだった。試合前の公式練習も、直前の6分間練習も調子が上がらず、3回転ルッツはパンクするか転倒ばかり。身体の軸がブレており、普通の選手ならここで不安に負けてしまうような場面だった。

「本番はやるしかないので、曲の中では絶対にやると自分に言い聞かせました。あとはボルターコーチが、『リンクでは一人じゃない僕もいるから』と言ってくださって落ち着きました」と安藤。6分間練習では1本も成功しなかった冒頭の3回転ルッツを成功させ、本番力を見せつけた。

 難技の3回転ルッツを成功させると、残る課題は体力面だ。しかし安藤はこの逆境もはねのける力を持っていた。今季選んだ曲は「火の鳥」。2003−04、04−05シーズンに使っていた思い出の曲で、4回転サルコウを降りていた時期の強い自信がよみがえる。振り付けは、当時と同じリー=アン・ミラーにお願いした。

 力強い「火の鳥」の曲は、ショートプログラムの時のようにゆっくりと滑るわけにはいかない。安藤はショートとは別人のように、前へ前へと気持ちが吹き出していくような滑りで、次々と技をこなしていった。

「今回は、羽ばたくというよりも、曲に引っ張ってもらいました。これからは自分が曲を引っ張っていけるくらいにしたいです。6分間でジャンプの軸がゆがんで最後の最後まで不安でしたが、『火の鳥』は思い入れのある曲ですし、すごく強気のプラス思考になれました。選曲が良かったと思います」

 終わってみれば、転倒なし。1本だけ2回転になったジャンプがあったが、復帰戦であることを考えればミスのうちに入らないレベルだ。もちろんスピード感はまだ全盛期のようには戻っていないが、最後まで滑りきれただけでも十分だろう。

新コーチも決定「台にのぼって終わりたい」

新コーチはイタリア人のリッツオ氏に。「たぶん最後のシーズン」へ、準備は整った 【Getty Images】

「倒れないかな、という心配だけしていました。体力が持つか持たないか、と考えれば絶対に持たないので。でも試合に戻ってくると決めたからには、最初の試合でルッツまで跳ぶと決めていました。トータル的にはミスが多い内容でしたが、試合に久しぶりに出られて、試合っていいなと思えたので良かったです。まだ、この試合で全部(の技)ができたらすごいことで、今の自分の体力と実力はこれくらいです。次の試合はルッツ2本まで持ち直したいです」
 落ち着いて語るまなざしは、もう現役アスリートそのものだった。

 得点は103.07点。プログラムコンポーネンツ(表現面)は6.39〜7.14で、グランプリシリーズに出場する選手並の高い評価を受けた。もし五輪出場を目指すなら必要となる国際スケート連盟のミニマムポイント(技術点)もクリアし、内容だけでなく得点面も十分な結果となった。

「あの演技で100点を超えたのはびっくりで、間のステップも全然入れられず曲に遅れていましたし、まだスピンのレベルも取れていません。練習の期間が足り無かったのが、悔しいです。今回の点数は、頑張れというメッセージだと受け止めています。これからはフリーを重点的に練習したいです。まだフルで滑りきるのは難しく、身体への負担も大きいですが、区切って練習を重ねていけば良い作品になると思います」

 試合翌日、同大会でコーチを務めたイタリア人のボルター・リッツオ氏を今季のコーチにすることを発表した。

「短期間でここまでもって来れたのは自信になりましたし、練習していけば世界と戦えると感じました。(12月の)全日本選手権までには3回転+3回転を入れるようにしたいです。五輪は、今の状況だと全日本選手権で優勝しないと出してもらえないので、そこまで特別に出たいという意識はありません。五輪は頑張ったご褒美、と考えて。たぶん最後のシーズンになると思うので、台にのぼって終わりたいですね」。

 新コーチも決定し、体制は整った。元世界女王の力の見せ場はここからだ。12月末の全日本選手権へ向けて、力強い一歩を踏み出した。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

元毎日新聞記者、スポーツライター。自らのフィギュアスケート経験と審判資格をもとに、ルールや技術に正確な記事を執筆。日本オリンピック委員会広報部ライターとして、バンクーバー五輪を取材した。「Number」、「AERA」、「World Figure Skating」などに寄稿。最新著書は、“絶対王者”羽生結弦が7年にわたって築き上げてきた究極のメソッドと試行錯誤のプロセスが綴られた『羽生結弦 王者のメソッド』(文藝春秋)。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント