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長谷部誠が抱くボランチとしての誇り
新天地を求め、見いだした未来への希望

便利屋状態の屈辱感と停滞感

長谷部のボランチに対する思いは強い。新天地を求め、さらなるレベルアップを図る
長谷部のボランチに対する思いは強い。新天地を求め、さらなるレベルアップを図る【写真:アフロスポーツ】

 2008年1月のボルフスブルク移籍から7シーズン目を迎えた今季。長谷部誠はブンデスリーガ第1節のハノーファー96戦を出場停止になり、いきなりベンチ外からのスタートを余儀なくされた。ブラジル代表MFルイス・グスタボの加入もあってボランチでは出場機会が得られず、11−12シーズンから起用されることの多かった右サイドバックも、クリスティアン・トレーシュが好調で出番が回ってこない。煮詰まりかけた時に浮上したのがニュルンベルクへの移籍話だった。


 清武弘嗣も所属する同クラブは13−14シーズンのブンデスリーガを戦う18チームの中でボランチの選手層が際立って薄い。しかも今季は開幕から未勝利。4戦終わって17位に低迷している。そこでブンデス経験が長く、リーグ優勝の原動力になったこともある長谷部に白羽の矢が立ったのだ。


「移籍の理由はホントにたくさんあります。全部喋ったら1時間くらい喋りそうなんでやめますけど、この6年間、自分はボルフスブルクでチームのためにすべてをささげてきた。これからもそういうやり方もあるかもしれないけど、そろそろ少しわがままになっていいのかなと。(ディーター・ヘッキング)監督からは『3つのポジションができる選手はいないから絶対に残ってほしい』と言われましたけど、僕は自分を通してもいい時だと思いました。3〜4週間前から粘り強く話し続けて、骨の折れる作業でしたけど、最終的には僕の意思を尊重してもらった。ニュルンベルク側も『リーダーとしてチームを引っ張ってくれ』と言ってくれましたし、待遇面でも評価してもらっているとすごく感じます」


 今回の日本代表の9月2連戦(6日=グアテマラ戦、10日=ガーナ戦)に向けた大阪合宿初日の2日。長谷部はスッキリした表情でこう話した。確かに近年のボルフスブルクでは、不本意な起用法があまりに多すぎた。本職ではない右サイドバックで使われることが増えた2シーズン前にも「ここ最近はずっと出たり出なかったりでポジションもまちまちなんで。1試合出なかった、1試合メンバーに入らなかったってことで一喜一憂することはないですけど……」と自分に言い聞かせるように語っていたが、便利屋状態の屈辱感と停滞感は本人が一番強く感じていたに違いない。とりわけ、昨季前半のフェリックス・マガト監督の理不尽な冷遇には、冷静沈着な長谷部もさすがに腹に据えかねたことだろう。

サイドとボランチの感覚的違い

 クラブでの不安定な状況が、代表にも少なからず影響を及ぼしていた。11年アジアカップ(カタール)で優勝したころの長谷部は、攻守両面でのアグレッシブさが増し、パフォーマンスにもキレと鋭さを感じさせていた。しかし、マガト監督に干された1年前は明らかにコンディションが悪く、ボランチとしての一挙手一投足に精彩を欠いた。マガトの解任を受け、ローレンツ=ギュンター・コストナー暫定監督、ヘッキング監督が後を引き継いだ後は出場機会こそ増えたが、右サイドバックや右サイドハーフでの出場で、ボランチとしてのレベルアップは期待できない。「サイドの選手はタッチラインを背にしてプレーするけど、真ん中だと360度敵が来るわけだから、そういうところの違いはやっぱり感じる。頭の切り替えは意識しているつもりですけど、ボランチ勘というかフィーリングにはどうしても違和感がありますね」と昨年11月のオマーン戦(マスカット)の時も深い苦悩を吐露していた。


 2013年に入ってからも、日本代表でキャプテンとしての圧倒的存在感を示す機会は少なかった。5大会連続ワールドカップ(W杯)出場を決めた6月のオーストラリア戦(埼玉)はフル参戦したものの、直前のブルガリア戦(豊田)でオウンゴールを献上するミスを犯し、イラク戦(カタール)は出場停止。6月にブラジルで行われたコンフェデレーションズカップ(コンフェデ杯)でも失点につながるミスが目立ち、2試合連続でイエローカードをもらって最後のメキシコ戦(ベロオリゾンテ)はピッチに立てなかった。


 続けざまにカードを出されるということは、守備面の対応が後手に回っている証拠。本人も指摘する「サイドとボランチの感覚的違い」による部分も大なのだろう。自分自身が足踏み状態に陥っている間に、若い山口螢らも追い上げてきた。9カ月後に迫ったブラジルW杯本大会で確実にピッチに立ち、世界トップを互角に対峙(たいじ)していくには、クラブでの泥沼から抜け出すことが必要不可欠だと頭のいい長谷部は実感したはず。そのきっかけをようやくつかんだことは非常に大きいのだ。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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