高橋秀人、ボランチ争いの開始地点に立つ=韓国戦はポスト遠藤への試金石

元川悦子

主将の重責とともに巡ってきたリベンジの機会

初招集から1年。ようやく初先発を果たした高橋は、ボランチ争いのスタートラインに立った 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 25日の東アジアカップ第2戦・オーストラリア戦(華城)。アルベルト・ザッケローニ監督からキャプテンマークを託された男・高橋秀人は、普段とは異なる独特の緊張感に覆われていた。
 2012年5月のキリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦(エコパスタジアム/静岡)で国際Aマッチデビューを飾ってから1年あまり。12年10月のフランス戦(サンドニ)や11月のワールドカップ(W杯)アジア最終予選・オマーン戦(マスカット)など、これまでキャップ数5を記録しているが、いずれもわずかな時間に出場しただけ。本格的にチームの軸を担ったことはない。

「1年間代表にいた分、『今回がラストチャンス』という目で見られるだろうし、ここで結果を出せなかったら『今まで何をしていたのか』と思われてしまう。他の選手たちより監督の戦術を知っていることもアドバンテージのようでそうでもない部分がある。逆に何も知らない分、伸び伸びとやって結果を出せる選手もいますから。もちろん、意気込みは人一倍ありますけどね。内なる闘志を秘めてプレーしたいと思います」

 今大会に向け、こう話していた高橋だが、後半21分から出場した21日の初戦・中国戦(ソウル)では、的確な配球でリズムを作っていた青山敏弘と明暗を分ける格好となった。高橋が入った後、相手がなりふり構わずに蹴り込んできたことでチーム全体のラインがズルズルと下がり、最終的に同点に追いつかれてしまったのだ。この展開はもちろん高橋1人の責任ではないが、彼を含めた全員が守備の意思統一を図れなかったのは事実。そういう意味でも不完全燃焼感が色濃く残ったはずだ。

 それゆえ、リベンジの機会を虎視眈々(たんたん)とうかがっていたに違いない。そのチャンスがオーストラリア戦で待望の初スタメンという形でついに巡ってきた。ただ、まさか主将の重責も併せて一緒に背負うことになろうとは予想していなかった。

リズムを作り攻撃参加 迫力あるボランチ像を体現

「入場行進のときは顔がこわばっていました」と本人も苦笑いしていた。
 そんな硬さも試合が始まると同時に消え去り、すぐに平常心に戻った。高橋は大声で指示を出し、手を叩いて周囲を鼓舞する。扇原貴宏とボランチを組むのは公式戦初だったが、状況に応じて一方が最終ラインに下がってビルドアップに参加し、もう一方は中盤の底でバランスを取る。そういう役割分担がスムーズにできていた。

「タカ(扇原)は前を向けるし、守備のところもタイトに行ける。前半、若干タカのサイドで数的不利を作られたので守備に追われる時間が多くて、先にバテたように見えたかもしれないですけど、良い関係でやれました。センターバックの千葉(和彦)ちゃんも(鈴木)大輔も声を出せる選手だし、コミュニケーションを取りながら連係もうまくいったと思います」と彼もリズムの良さを実感していた。

 前半途中からは豊田陽平に鋭い縦パスを入れて起点を作ったり、自らボールをつなぎながら高い位置を取ったりと攻撃意識も強めていく。そして前半終了間際の44分には、自ら大迫勇也に出したボールが豊田に渡った瞬間、一気にゴール前へ突進。打点の高いヘッドを放つ。これは惜しくも枠を越えたが、得点への迫力を押し出せるボランチとしての一端をのぞかせた。

何とかこなした遠藤の役割

 高橋はこの1年間、代表で時間を共有した本田圭佑から「ゴールに対する意欲を高く持て」としばしば激励メールをもらっている。
「圭佑さんから『点を決めないと上の世界には行けない』とよく言われる。得点は誰もが分かりやすい結果。どれだけ良いプレーをしても新聞の見出しにはならないし、評価されにくい。ゴールを意識することはチームの勝利にも直結するし、やっぱり大切」と今季初ゴールを挙げた5月18日のJ1第12節・清水エスパルス戦後に語っていたが、ザックジャパンの主力から受け継いだ高い得点への意識を、重要なこのゲームで明確に表現したいという思いがどこかにあったのではないか。

 2−0とリードした後半途中からは、練習で一緒にプレーする機会の少なかった山口螢とコンビを組むことになった。「タカにしろ、螢にしろ、アオちゃん(青山)にしろ、コミュニケーションを取ってくれるのでやりやすい。佑都君(長友)なんかも、僕がカバーに入っただけで『OK、サンキュー』と言ってくれたりする。そういうさりげない一言が大事だと思います」と話すように、彼は意思疎通を大事にしつつ、バランスを維持した。「オーストラリア戦は中国戦よりプレスの部分で行くところと行かないところ、ぼかすところとぼかさないところ、耐えるところと自分たちから奪いに行くところのメリハリができていた」と短期間でのチームの大きな成長をピッチ上で感じたという。

 それだけ良い内容で戦ったからこそ、無失点で勝利したかった。ところが、中国戦同様、足が止まって相手に押し込まれ始めた後半31分と33分に立て続けにゴールを献上。2−2に追いつかれてしまう。「2失点目は絶対に与えたくなかったのに、そこを与えてしまったのが今後の課題」と高橋は顔を曇らせた。2点差をつけている有利な状況でチーム全体をコントロールしきれなかったふがいなさに悔しさもひとしおだったという。

 それでも、直後の大迫の勝ち越しゴールによって日本は救われ、最終的に3−2の勝利をつかんだ。タイムアップの瞬間、キャプテンの大役を白星で飾った高橋は下を向いてしばらく動けなかった。それだけの疲労と安堵感が入り混じっていたのだろう。結局、背番号20は90分フル出場。ゴールに直接的に絡む仕事こそなかったが、攻守両面でチームを落ち着かせた。オーストラリアが予想以上に緩かったのも追い風にはなったが、背中を追いかけてきた先輩・遠藤保仁に近い役割を何とかこなした。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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