高萩は本田らトップ下の牙城を崩せるか?=代表定着へ第一歩を踏み出した“天才”
急造チームにリズムを与えたプレー
中国戦でリズムを作り攻撃をけん引した高萩。挫折の末につかんだ代表への定着を狙う 【写真:FAR EAST PRESS/アフロ】
19分には、山口螢のインターセプトから中盤でしっかりとタメを作り、右の工藤壮人へ展開。左から飛び込んできた原口元気の決定的なシュートにつなげた。直後には1トップの柿谷曜一朗へ鋭いスルーパスを送り、タテへの意識の高さを色濃く押し出す。そして34分には高萩の左CKから栗原の同点弾が生まれた。
「前半の途中くらいからしっかり受けて前を向く形が何回か出せました。ワンタッチのコンビネーションだと、いつもやっているメンバーならうまくいくかもしれないけど、今回は違います。ワンテンポ遅らせたり、キープしたりすることで周りが動き出す時間が作れると思って、途中からそれを意識していました。タメができた分、みんなが動き出せたのかな」と試合中のリズムの変化を高萩はこう説明する。
国際試合の感覚を取り戻した中国戦
「サンフレッチェでやっているときは2列目に自分を含めて2人いるけど、このチームでは自分1人しかいません。なので、そのあたりのバランスを考えながらやる必要がありました。トップ下が1人ということはその分、スペースがあります。そこを使えればもっとチャンスは作れると思っていました。手ごたえは感じました」と本人も自信をつけたようだった。
チームは終盤、蹴り込んでくる相手を防ぎきれずに3−1から2点差を追いつかれた。高萩自身も代表デビュー戦を白星で飾れず悔しさがいっぱいだった。しかし、長短のパスセンスを駆使したゲームメーク力や創造性の高さといった持ち味はある程度出せたといってもよい。
「代表レベルの国際試合は久しぶりだったんですけど、ミシャ(浦和のミハイロ・ペトロヴィッチ監督)が今の基盤となるプレーの型を築いてくれて、それに加えて森保(一)さんがJリーグやアジアチャンピオンズリーグ(ACL)で戦えるように細かい部分をつけ加えてくれました。そういう積み重ねがあって落ち着いてこの試合に入れましたし、今年ACLを経験したのも大きかったと思います」と彼はこの中国戦でインターナショナルレベルの感覚を確実に取り戻したようだ。
サンフレッチェ広島ユースに所属した10代の頃から「天才的なファンタジスタ」と称された高萩。回り道をしてきたこの男は、長い時を経て、ようやく日本代表定着への第一歩を踏み出した。
挫折を経験し、再生した早熟の天才
ところが、高校2年生だった03年11月にトップ昇格し、広島初の高校生Jリーガーになった頃から、高萩の運命が微妙に狂い始める。05年までの3年間、ほとんどJの試合に出られず、サッカー選手として最も伸びると言われる10代後半の時期を生かし切れなかったのだ。
この状況を打開するため、彼は06年にJ2の愛媛FCにレンタル移籍。新天地で1年間、コンスタントに試合に出て、再生への糸口をつかんだ。今回の東アジアカップメンバーを見ても、Jユースで育った柿谷、齋藤学、森脇が同じ挫折を経験し、J2へのレンタルによって遠回りしながら何とか復活を果たしている。Jユースに上がれなかった本田や森重真人が高校サッカーを経由してプロ入りし、出場機会を得て大きな飛躍を遂げたことを考えると、Jクラブに所属する早熟の天才をスムーズに伸ばすことがいかに難しいかを改めて痛感させられる。紆余(うよ)曲折はサッカー選手のメンタル強化には必要なことだが、非凡な才能が順調に育たず、頭打ちになるケースが目立つのはやはり問題だ。彼らの例も踏まえ、選手育成に関して考えるべきことは非常に多い。